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「エゴについて」の論

秋元ユキ
秋元ユキ

この文章は、私が通訳を可能とするスピリチュアルな存在が語った理論とメッセージを掲載したものです。

詳しいエピソードはこちら


 

エゴとは、自分の考えを正しいとして疑わない者の、「発案を受け入れるべき」とする考えである。

 

それは、「考えそのもの」と言える。

エゴとは、その考えの塊(かたまり)のことを言うのである。

 

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「考え」とは、変えるほどに楽しくなる。

エゴをもつ者は、その考えを変えればいいものを、「変えない」という考えのもとに動いている。

だから、「考え」は消えない。

エゴが消えないのである。

 

一方、柔軟な考えをもつ者は、考えを変える。

「より良い考え」へと、移動することができる。

 

要するに、「皆が幸せになる考え」を追求することが可能になる。

ところが、「考えを変えない」という塊をもっている者は、考えを変えない。

 

「自分の言うことが最も正しい」と考えるため、「より良い考え」という発想をもたない。

「より正しく・より素晴らしく」という発想は皆無で、「より自分の考えを貫くためのこと」しか考えない。

そのために発想し、「より人に言うことを聞かせること」を考える。

あなたが、どちらの発想をもつ者か、考えてみるといい。

 

より自分の考えを貫こうとして話をしようとする者は、

人が、自分に意見することを嫌う。
また、自分の言うことを聞いてもらえないと怒る。
そして、自分が言ってることが正しいと疑わない。

 

この3つのことをエゴと言っても過言ではない。

この考えそのものを、エゴと言う。

 

人は、自分の考えを変えるための「対話」をするべきであり、自分の考えをより良くするための案を出すべき。

世の人はそうして協力し合うべきであるため、エゴの塊をもつ者は、苦しみを経験するはず。

 

思い通りにならないということに、のたうち始め、必ず考えを変えるようなことは起こる。

だが、そこから抵抗しようとし、自らを守ろうとすると、「エゴを守る」ということになっていく。

 

「エゴを守る」ということは、「考えを変えない」ということ。

「考え」とは、変えるほどに楽しくなっていくものであるので、エゴをもつ者は、「楽しくない」という事実に苦しんでいく。

 

エゴをもつ者は、エゴを守ろうとして、楽しみを捨てていく。

エゴをもっていることが苦しみの原因と気づかないまま、エゴを手放せば損をすると勘違いしている。

 

本当に損なのは、そのエゴを手放さぬことなのに、その考えを変えてみようとしないことなのに、本当は変えたほうが楽なのに、皆が楽しく協力するよりもエゴを手放さないほうが得だと思っている。

そういう心あたりのある者は、こう考えてみて欲しい。

 

あなたが一番正しい考え方をしているならば、なぜ苦しいのかと。

それは、本当に正しいのかと。

 

正しいと思っているわけでもなく、エゴを手放せないと悩む者は、こう考えてみて欲しい。

エゴは、「考え」に過ぎない。

あなたの知識と情報を増やしてみることが、解決に繋がっていく。

 

人のことを知り、己のことを振り返るだけでいい。

エゴとは、「偏った考え」のことを指すのであるから、考えを広げるとか、知識を増やすことによって、考えを変えていけばいいだけのこと。

 

それができないと苦しんでいるのだとすれば、ばかげたことだとは思わないだろうか?

参考にして欲しいと思う。

 

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。

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