「天職について」の論

「天職を求める」と言う者は、夢を見ている。

「天職」というのは、仕事をする上において、「自分に合っている」と思える状態に過ぎない。

 

その状態を夢のように求め、運命のように出会いたいと語る者は、要するに、仕事をしたくないのだと思う。

 

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あなたが最も欲しいものを、提供する。

仕事を選ぼうとするときに、「何をするべきか」とか「自分に合っているのかどうか」と悩む者がいるが、そんなことを考えようとも、わかるはずがない。

誰かが何かを始めるときには、「よくわかっていないことを始める」ということでしかない。

 

なのにはじめから、好きだとか嫌いだとか、向いているとか向いていないとか、これが一生の仕事だとか、これは違うようだとか、わかりようがない。

ただ、どんなときにもわかっていることが、一つある。

 

仕事をしなければならない理由があるということ。

あなたが仕事をする理由は、それである。

 

一つ聞きたいのだが、あなたがやりたい仕事というのは、お金をもらわなくてもしたいものだろうか?

それを考えると、次のことがわかる。

 

仕事は、お金をもらわないと、する気が起こらないものである。

「仕事=楽しいこと」になってもいいではないかと思う者には、「お金をもらっているのに、楽しいということを求めるのはなぜなのか?」と、聞いてみたい。

 

あなたが仕事をするのは、そこにその仕事を必要にしている者がいるとき。

そうでなければ、成り立たない。

あなたはその対象の者を楽しませ、役に立つと言われ、よろこばれて、はじめてお金をもらう。

 

あなたがそれをせずに楽しみたいのだと言ったら、その対象の者はこう言うだろう。

「では、あなたが金を払え」と。

 

生活をしている中、誰かの世話をし、誰かのために働こうとし、誰かがよろこんでくれることを楽しもうとしているのであれば、それは叶う。

だが、あなたが趣味のように仕事によろこびを求め、あなたのやりたいようにすればいいと思っているのであれば、それは、あなたの勘違いである。

どこかの誰かが「楽しみながら仕事をしている」と言うことを聞いて、鵜呑みにするのはやめたほうがいい。

 

「楽しんで仕事をしている」と言う者は、誰かの役に立っているから、楽しいと思うのである。

仕事というのは、誰かの役に立ち、需要と供給が成立したときに面白くなる。

にもかかわらず、「需要のことはわからないが好きなことをする」という考えをもっているのであれば、そこにお金はついてこない。

 

遊ぶように仕事をしてお金を儲けたというのは、まあ、万が一にあったとして、よろこびにはなるまい。

あなたは、マネーゲームを楽しみたいのか、仕事を楽しみたいのか?
現在のあなたにできることが少ないから、楽しくないのではないか?

少ないのだとすれば、増やせば増やすほどその需要は増えるのではないか?

あなたが最も欲しいものを、提供しようとは思わないのか?

 

そういったことを、きちんと理解できているのかどうかということを、考えてみるべき。

実際、仕事を楽しんでいる者とは、「ある一つの天職に巡り合った者」ではない。

 

何もわからないところからスタートし、たまたま巡り合った仕事を経て、自分のできることを増やし、必ず人の役に立つことを始めた者。

そう考えてみて欲しい。

 

自分にできることは、限られている。

だから、できることを、増やしていかねばならない。

要するに、自分の得意とするものを増やし、それを提供することによって、よろこんでもらえる機会が増えるということが、仕事の楽しみになるのである。

 

仕事が面白くなるのは、仕事の幅を広げたとき。

それから、あなたができることを増やし、それが人の役に立ったとき。

それから、あなたがやろうとしたことが、誰かに伝わったとき。

 

それから、あなたがやりたいと思うことが、展開できるようになったとき。

そういうことをできるようになることが、あなたの望みではないだろうか。

 

違うのだとすれば、あなたは「天職」という幻を求めて、さまようのだと思う。

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。