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「メンタルの弱さについて」の論

秋元ユキ
秋元ユキ

この文章は、「大天使ガブリエルの使者」と名乗るスピリチュアルな存在が語った理論とメッセージを掲載したものです。

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メンタルを鍛えると言うが、そもそも形のないものを鍛えることはできない。

そうではないだろうか?

 

メンタルについて話すのであれば、あなたは、自分の考え方を見直すだけでいいと思う。

メンタルというのは、弱いとか強いということではなく、「考えを変えられるかどうか」というところが唯一、人との違いとなるのである。

 

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「最後までおこなう」ということは、重要ではない。

一つ例を挙げると、自分で考えたことを最後までできるのかどうかということに、悩むことがあると思う。

「最後までおこなう」ということは難しいことが多く、大して役に立たないかもしれないことや、くじけそうになることも多い。

 

だが、「自分で決めたことを最後までおこなう」ということができなければ、何事も前に進まない。

そういう理由において、人は何事も最後までおこなってみようとする。

 

しかし、ちょっと考えてみて欲しい。

そもそも、「最後までおこなう」ということは、重要ではない。

 

あなたが弱気になったり、くじけそうになっていることについて、続けることが困難になっている場合には、それ自体が無意味になっていることが多いのだということ。

実際に考えてみて欲しいのだが、当初の予定において最後までおこなおうとしていたが、くじけそうになるときというのは、そもそもなぜ最後までおこなおうとしていたのか、はっきりしていないことについてだと思う。

要するに、途中にくじけそうになることの理由とは、最初の目的がはっきりしていない場合。
そもそもの予定の立て方が、あまりにも曖昧だった場合などである。

 

なぜそういうことが言えるのかというと、人は、最後までおこなう理由をもってさえいれば、途中に弱気になったりすることがないため。

目的に向かう理由があるときには、弱気になっている場合ではないため、なんとかしようというふうに考えるはず。

弱気になるということは、そもそもその手段に、意味がないのである。

 

つまり、自分という人間において、強い気持ちと弱い気持ちが存在しているわけではないのだ。

自分が突き通そうとしていた気持ちが、あまり意味のないものだと気づいたときに、人は弱気になる。

そして、最初に描いたイメージを否定したくないがために、それを最後までおこなおうとする。

 

ところが、一旦弱気になった後は、それを最後までおこなうことができるのは稀となる。

なぜなら、当初の予定が間違っていたことに、気づいているからである。

 

間違っていた予定を、突き通そうとするほど難しいことはない。

無意味な苦労ばかりすることが、目に見えているからである。

 

そういったことを冷静に判断できないまま、何をおこなおうとしてもやる気はなくなる。

人は、自分が決めたことが間違っていないと感じるからこそ、最後までおこなおうとするのだ。

だから、やる気がなくなったり、弱気になったりしたときには、当初の予定の立て方があまりにも甘かったということに気づかねばなるまい。

 

そして、考えを変えるということが必要になる。

そういったことを素早くできない心を「メンタルの弱さ」と呼ぶのであって、やる気のなくなったことを最後までできない自分を、責める必要はない。

 

柔軟な考えをもてないときほど、時間を無駄にすることはない。

あなたの心をいつも良い方向に向けたいと思うのであれば、意味のないことに力を注ぐことのないよう、目的をきちんと確認して欲しい。

 

そして、方向転換をすることのできる、心の強さをもって欲しい。

いかようにも考えを変えられる人間が、成功をおさめるのだと思う。

 

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。

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