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「勘違いについて」の論

秋元ユキ
秋元ユキ

この文章は、「大天使ガブリエルの使者」と名乗るスピリチュアルな存在が語った理論とメッセージを掲載したものです。

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勘違いしている人を見て、たちが悪いなと思ったことがあると思う。

 

勘違いする人というのは、勘違いを好んでしている。

それはわかるだろうか?

 

だから、勘違いというのは、たちが悪いのである。

 

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人生に不要なものこそが「勘違い」

勘違いというのは、単なる思い込みとは違う。

ある道筋があって、それに反したちょっとした勘違いをしてしまったということは、あまりない。

 

つまり、正しく物事を考えていたいにもかかわらず、勘違いしてしまい、その部分だけの修正をすれば済んだということにはならない。

最初から、考える方向が妙にずれているといったことが起こっているため、大抵の人は、勘違いしている人の考えを正すことなどできないのである。

 

勘違いする人というのは、ある一定の思い込みをしていたいがために、一定の勘違いを繰り返す傾向にある。

その人が好んでその歪みをつくりだしているからこそ、その勘違いはちょっとやそっとの説明では解消されない。

それはまるで、その人がつくり上げた現実世界が別に存在するかのように考えていることが伝わってくるほど、たちが悪いものなのである。

 

だが、勘違いするということは、めずらしいことではない。

あなたにも勘違いしていることがあるということに、あなたは気づいていない。

 

だから、自分という者は、勘違いをするものだと自覚する必要をもっている。

その自覚をもっていれば、まるで自分自身の考えがすべてであるかのように物事を語ることなどなくなるだろう。

 

そしておそらく、あなたにとって大切なことが、自分自身を守ることではなくなる。

少なくとも、自分の身を守る必要をそこまで感じることがなくなると思う。

なぜなら、人生に不要なものこそが「勘違い」だからだ。

勘違いは、あなたに必要なものではない。

 

なのに人は、勘違いを生み出してしまう。

不必要な勘違いを生み出して、何をしているのかというと、身を守ろうとしているのである。

 

勘違いしている人は、誰かを攻撃しようとしているわけでも、現状に満足しているわけでもない。

単に、身を守ろうと必死で、自分の世界を創り出そうとしている人。

現実という世界に身を置こうとせず、自分の身を守れそうな世界を創り出して、そこに身を置いていれば安全だと考えている人である。

 

だから、勘違いしているということは、すぐにばれる。

勘違いしている人と話していると、「同じ世界の話をしていない」と感じる。

その人独自の創った世界の話をして、やり過ごそうとしている気持ちが見えるため、「勘違いしている」ということが、すぐにわかる。

 

そういったことがわかるのは、「現実」のほうに存在している人間である。

現実的に生きようとしている人間は、勘違いを、勘違いだと見抜ける。

 

ところが、現実的に物事を考えていない人というのは、違う世界に生きようとしているので、勘違いしているという概念のもとに物事を考えてはいない。

「物事は思うようにいくはずなのに、思うようにいかぬ理由がわからない」という疑問をもっているのである。

 

あなたが勘違いしていないかどうか、確認してみて欲しい。

そして、自分は勘違いしていない人になろうとして欲しいと思う。

あなたの世界が、この現実に沿っているものかどうかを考えてみれば、あなたが現在、勘違いしているかどうかがわかる。

 

  • 現実というのは、思い通りにならぬものである。
  • 現実というのは、あなたを中心には動いていない。
  • 現実というのは、あなたが働きかけることによってのみ変わる。

それがわかっている人間であれば、わざわざ現実ではない世界に身を置いて、空回りする必要がないということに気づくはず。

 

空回りする人というのは、現実には起こらないことを期待し、自分から起こすつもりのない人である。

要するに、愛や夢が、向こうから飛び込んでくるのを待つ人。
そして、いいことがあることを期待し、悪いことを責めようとする人。

そして、物事がうまくいかない理由を、すべて人のせいにしている。

 

あなたが勘違いしているかもしれないと思うのであれば、勘違いするのをやめようと思えばいい。

勘違いした人というのは、「勘違いしていた」ということを自覚さえすれば、勘違いしていない人になれるのだ。

 

勘違いは、誰でもするものなのだから、勘違いせずに現実を楽しく生きようとして欲しい。

現実を楽しく生きるということは、あなたが現実に働きかけるべく、何かをするということである。

 

現実に起こらぬことを期待して生きるのは、楽しいだろうか?

それを自分に問うて生きている人こそが、楽しいということを求めて旅をすることができる。

単にそうして楽しみを探す旅をするということを、わざわざやめてしまう「勘違いした人」にならぬよう、気をつけて欲しい。

 

「勘違いした世界」に身を置いている必要などないのだ。

現実を、楽しみたいのなら。

 

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。

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