開けた「大地」の上を歩く

あなたはいま、「一本の道」の上ではなく、大きく開けた「大地」の上にいるという考えをもってみて欲しい。

 

そういう「大地」というものが存在するとして、あなたはそんな「大地」の上で、ひとところに留まっているのが苦しい。
そのとき、あなたは、そこから位置を変えるということをする。

その位置を変えることを、「進む」というのである。

 

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「大地」に、「道」を創っていく。

あなたが「一本の道を進む」という想像の元に進もうとすると、「そこに沿っているかどうか」というあなたの勝手な判断にて、日常の様々な不平不満が邪魔をしてくると感じるようになる。

「一本の道を進む」と想像することは、未知なる可能性をもたないと決めることになるのである。

 

「一本の道」というのは、あなたが生きるのにふさわしいものではない。
単にそうあればいいと考えている、あなたの空想の「道」であるにもかかわらず、その「道」が線路のように、うまく続いていかないことを嘆いている。

しかし、「大地」の上に「道」ができるそのとき、あなたはそれを、誰が創ると思うのだろう?

 

そこにはじめからあるはずの「道」を、歩いていくべきなのではない。

あなたが、その「大地」に「道」を創っていくのである。

あなたが選んでいく、その軌跡が「道」になるということであるため、あなたがそこから次の場所へと移動するということは、それ自体のよろこびを伴うはず。

 

あなたが、ひとところの「思考」の中で悩み始めれば、「動く」ということができずに、その場にうずくまってしまう。

なぜあなたがうずくまってしまうかというと、「そこに道が見えないため」と考えてしまうだろう。

だが、あなたが知るべきは、そこにはっきりと見えるはずの「道」などはないということ。

 

何も「一本の道」を見つけようとしなくとも、そこから次へと移動を果たそうとするその行為の中に、あなたのよろこびを見出そうとするとき、あなたの心は晴れやかな兆しを見る。

あなたが求めているものとは、いま、自分にとってのよろこびを感じている「気持ち」である。

 

その場においての「気持ち」について、気に入らないため、次へ向かう。
あなたがその場を離れてみれば、その次のことを考える機会を得る。

そうすると、以前とは違う「気持ち」を感じることができる。

 

あなたの感情の中に、気に入るものがあったなら、あなたはいつもその「気持ち」を忘れないことを望む。

「この感情」という、あなたの「感情」を求めていたことを、理解するだろう。

 

あなたが求めている「感情」とは、その場に留まることによって得られるものでない。

「動く」ということによってそれが手に入るのだと理解し、どう動いたときに得られる「感情」が良いのかを、追求していくことができる。

つまり、あなたが動いている間に感じている「気持ち」そのものを、良いもの・あなたの好んでいるものへと変化させる工夫を伴って歩こうとすれば、その歩くという行為そのものがよろこびであると理解できるはず。

 

ところが、多くの人は策を練り、最後に笑っていられるための準備をおこない、その「気持ち」に沿わないことさえも必要と考え、「どうすればうまく歩けるのか」という理解を求めようとする。

それはつまり、「進む」ということのよろこびを放棄するに等しい。

何かをおこなっている間に、自分の好んでいる「感情」を感じ続けていくことを、あなたが望んでいるのだと知って欲しい。

 

「大地」の位置を移動することで、あなたが受けとるものや景色が移り変わっていく、そのことを楽しんでいるのだと知るのなら、あなたはもっと考えを滑らかにすることができるはずである。

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。