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「生活習慣の改善」についての論…改善できないと後悔するようなことが起こる?

秋元ユキ
秋元ユキ

この文章は、私が通訳を可能とするスピリチュアルな存在が語った理論とメッセージを掲載したものです。

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生活習慣の改善が必要だと思っている者は、もうずいぶん前から「改善が必要だ」と知っているはずである。

それを知りながら、なかなか改善できないと考えている者が大半で、残りの者は改善することを趣味のように考えている。

 

改善するということは、変化を伴うということであるため、難しいのは当然であるけれど、それを楽しめる者もいるのである。

 

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生活習慣の改善について、スピリチュアルな存在による見解とは

 

「生活習慣の改善をするのは楽しそうではないけれど、改善しなければならない」という不安を抱えている者は、何らかのきっかけがあってはじめて、考えを変えようとする。

そういう者に「なぜいままで変えなかったのか?」と聞くと、大した答えは出てこない。

うすうす気づいてはいたけれど、なかなか変えることができずにいたと答える者がほとんどであろう。

生活習慣の改善というのは、そうしたほうがいいとわかっているようなことがほとんどで、それでもわかっていながらしていなかったことが続くと、後悔するようなことが起こるというわけである

 

例えば、早起きができない者は、早起きをする理由ができてから困ることになったり、身体を悪くするのを承知でおこなっている習慣がやめられないと嘆く者は、病気になってから考え直すということが起こり得る。

なぜそういうふうに考え直す機会をもって物事が進むかというと、「あなたがうすうす感じていたこと」というのが、キーになるからである。

 

「うすうす感じていたこと」というのは、あなたがほぼ「知っていたこと」に等しい。

「知っていながら、変えていないこと」というのは、あなたの希望に反している。

「こうしたほうがいいのはわかっていたけれど、できずにいた」と言う者は、おそらく「こうしたほうがいい」と考えるきっかけのほうに歩いていく。

なぜそういうことが起こるのかというと、あなたが望んでいるからである。

 

そういうことが本当に起こるというのが、人生の不思議と言えよう。

それは、迷信や「心のどこかでそれを望んでいたから」というようなことではなく、その望みを叶える方向に思考が向いていくからである。

 

だから、放っておいてもそのきっかけが現れたかのように感じる日がやってくる。

だが、それが良いことならまだしも、悪いことであったり、身体を壊すことであったり、悲しいことであったりするということを望んではいないはず。

だとしたら、元より「生活習慣の改善を楽しむ者」になったほうがいいのである。

 

改善を楽しめる者というのは、何らかのきっかけを見出すことなくそうしようとするため、望みの方向に向かいやすくなる。

一方、どちらにせよ改善を望んでいるにもかかわらず、だらだらと過ごす者は、余計なきっかけを生み出すことになる。

そういった経験を一度でもしたことのある者にとっては、わかりやすいことだと思う。

 

一般的に健康とされているものを好めばいいと言うわけではなく、したほうがいいとあなたがわかっていることを、自分の希望としてとらえるのを早めたほうがいいということ。

できないと決めつけるのを、やめようとすること。

そのほうが、きっかけを待つようなリスクを減らすことになる。

 

ところで、生活習慣の改善さえできない自分は、何の望みを叶えられるのかと、自分に問うてみるのがいいと思う。

習慣を改善して、何を始めたいのかを考えてみなければ、改善自体をよろこぶことは難しい。

改善することが難しいと考える者は、改善自体を望んでいるわけではないのだと思い直す必要がある。

 

生活習慣の改善というのは、それ自体に意味があるのではなく、その先に叶える望みのためにあるのだ。

だから、さっさと「改善した後の目標」を決めてしまったほうがいい。

 

あなたがおこないたいことに沿って、いかようにも生活改善をできる心の状態になること。

人は、実際にはそういう状態を好むものである。

 

改善というのは、あなたがとっておきのご褒美を得る気持ちでおこなうのがいい。

自分へのご褒美を与えることを趣味のようにしなさいと言っている私の言葉を、まるで厳しく「改善するべき」と言われたかのようにとらえるのは、おすすめしない。

 

その考え方と、とらえ方を変えること。

それが、「生活習慣の改善」となる。

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