本当に目指すべき「出口」を知る

「いつもうまくいかない」という結果になることについて、あなたは、「出口を示す正しい地図」を持っていない。

壁にぶつかり、その壁が「出口」ではないことに気づくまで、そこが「出口」と信じて突進してしまうということが起こる。

 

そんなとき、あなたの頭の中には、あなたの「想像」によって作り上げられた地図が、大きく広がっているのかもしれないと考えてみて欲しい。

 

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同じ地図を眺めるのを、やめてみる。

あなたにとって、「もしかしたら、この地図が間違っているのかもしれない」と疑いをもつような「出口の見つからない部分」があると感じるならば、あなたはその地図を信じるのをやめなければならない。

 

本当に目指すべき「出口」を知るために、その情報をもっていそうな者に聞く・あるいはその情報をもっていそうな者を観察するという方法をとり、「うまくいく」方向を知っている者が向かおうとする「出口」を見ようとすること。

そうすれば、正しい知識を持っている人間は、あなたがいつも向かっている「出口」にはどうやら向かう気配がないということに、気づくことができる。

 

ところがあなたは、「自分の頭の中の地図を疑ってみる」ということを「一世一代の決意」のように考えて反発し、「自分の地図は本物」と言い張り、その地図に示されている「出口」を目指すことをやめようとしないかもしれない。

なぜならそんなとき、実はあなたの頭の中にはもう一箇所、「非常に険しい道のりを覚悟する必要のある方向」に「出口」を疑う場所があり、「そこを通るより他に出口はないのではないか」と恐れ始めるためである。

 

「正しい出口がどこにあるのか」という情報を得る前段階において、あなたは、「向かいたくない出口に向かうべきなのか?」と考え始めるため、自ら「情報を得ないこと」を選択する可能性が高いのだ。

だから、「正しい知識を得ればいい」というアドバイスをされようとも、「私はこの地図でいい」とすることを繰り返しているのではないだろうか。

「出口はどこにあるのか、見当もつかない」というのが、いまのあなたの状態の正しい見解であるはずなのに、あなたはなぜか「あの嫌な方向に出口がある」と想像し始め、情報を拒否しようとしているということはないだろうか?

 

つまり、実際のところ、「あなたの頭の中の地図を眺める」以外のことは、まだ何もしていない。

いったい何をもって、その「二箇所」以外の「四方八方、手を尽くしてみた」と考えているのだろう?

これまで、向かったことのない「出口」に向かう方法が「わからない」というのが真実なら、あなたが「わかっている」と思っていることは「誤解」である。

 

新たな情報を得られる所というのは、「突進することも、嫌な出口を想像することも、自分はしたくない」と考える者が向かうオアシスのような場所かもしれないと、一度考えてみて欲しい。

あなたは、一旦、あなたの本当に目指すべき「出口」を、あなたの判断において確認できる場所に、行こうとしてみて欲しい。

その判断をするまでの時間を、人は長く長くかけ続け、同じ地図をもって「出口」のない壁に突進し続けている。

 

そのことに気づけない理由とは、あなたが、「自分の地図を疑うのが嫌だ」ということにこだわっている、普段からの姿勢にある。

正しさを証明したい」とか「完璧でありたい」といった姿勢は、必要ない。

「自分には、わかっていないこと・気づけていないことがたくさんある」というふうに判断できずにいる普段からの姿勢が、最もあなたの「出口」を見つけられない要因となっているのである。

 

「一世一代の決意」とは、実は「同じ地図を眺めるのをやめてみる」といった、単純かつ、世界の広がっていく話である。

あなたの考えが、その「一世一代の決意」から、「なんてばかばかしいことをしてたのか」と気づくに至るまでに必要な行為とは、「他に出口があるとして、自分にはわかっていない」と考えてみることのみ。

あなたが「正しい知識を手に入れるのを拒否している」ということが、「私の目的に最も反する行為である」という自覚さえ芽生えれば、うまくいかない「行動パターン」とは、その繰り返しを留める兆しを見せるのである。

 

そういうことが理解できたなら、あなたが「自分の頭の中の地図」の修正を上達させていくという、次の段階に進むよろこびを手に入れることができる。

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。

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