「心配事について」の論

 

「心配事がある」という人には、こう言える。

 

心配事を解決するには、時間が必要。

あなたがその心配事にかかりきりの状態になっても、その心配事は消えないのである。

 

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あなたの想像は、あてにならない。

例えば、親のこと・子供のこと・病気のこと・恋愛のこと・お金のこと・未来のこと・仕事のこと・夢のことなど、いろいろ心配なことはあるだろう。

いつの日か、解決することではあるけれど、いま心配なことがあるのなら、こういうことが言える。

 

心配しなくても、起こることは同じ。

あなたが、心配してもしなくても、何かが起こったり起こらなかったりするようになるのではない。

 

だから、何かをしなければならないとか、何かを変化させねばならないとか、そういう考えをもっていれば、心配していることが起こらなくなると勘違いしないこと。

あなたが想像するよりも多くのことが起こるものだし、あなたが特定のことを起こそうとしても、無理な話なのである。

 

自分の想像した通りの世の中をつくることができると思うようなことを、やめようとすること。

つまり、心配をする」ということは、「想像をする」ということであり、その想像があなたにとって悪いことであるから、その想像が気になるのだと思う。

だが、例えばあなたが想像したことを現実に起こそうとしても起こせないのであるのに、まるで起こってしまうかのように考えなくともいいということである。

 

心配をする時間とは、そのように無駄な時間だと言える。

それでも無駄な想像をやめられないようなのであれば、自分の心配事を紙に書き、本当にその通りになるのかを試してみればいい。

それを読み返したときに、「私の予想は当たっていた」と確信することにし、今後は心配することにしようと、決めればいいと思う。

 

とにかく心配事を紙に書き、それが当たってから心配するようにして、あとは忘れて欲しいのだ。

それが当たらない限り、あなたが心配することは紙に書いて忘れるようにすれば、心配事を対処する方法がそれであるとわかる。

紙に書くことで、ずっと覚えておかなくともいいことになるし、過去に当たった確率がわかるようになる。

 

あなたの心配が当たる確率がすごく高いと感じたら、その能力を役立てようとすればいい。

だが、その想像がどの程度の確率かということを知れば、あなたは心配するのをやめるようになると思う。

それを、正しく理解するのがいい。

 

心配は、想像に等しい。

だから、「想像をする」ということによって、何かが変わるということはない。

 

心配をするということは、あなたが今後の行く末を勝手に一つか二つの出来事に絞り、まるで実際に起こるかのように考えているだけのことである。

だが、それは非常に起こる確率が低い。

 

あなたの想像よりも、現実のほうが予想のつかぬ状態になるはずだし、あなたが考えている以上のいいことも悪いことも、本当は起こり得る。

だから、想像をするということを続けるのには、あまり意味がない。

 

想像をすることに意味があるとすれば、そのことが必ず起こる場合のみ。

必ず起こるのであれば、あらゆることを考えて準備をする必要をもっている。

 

だが、起こらないのが大半ならば、もっと「必ず起こるとわかっていること」について、考えるほうが先決ということ。

必ず起こることであるのか、そうでないのかを見極めて、本当に起こっていく物事について対応することが大切。

 

すべての心配事に対処していかねばならぬとすれば、千通りものことに備えねばならない。

だが、「起こるかどうかわからないこと」は、まだ考えるに値しないことである。

 

心配事は、心配事。

あなたがそのように、現実と想像の区別をつけようとすること。

 

あなたの想像は、あまりあてにならない。

だから、まるで未来を知っているかのように考えて、心配しなくてもいいのである。

 

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。

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