「優劣について」の論

優劣というのは、能力や立場として優れているか劣っているかというよりも、「優れた思考」をしているのかどうかだと思う。

 

優れている人は、劣っているふりをすることができる。

だが、劣っている人が、優れたふりをすることはできないのである。

 

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思考と感情に、振り回されない人。

「優れている」ということは、自分のおこないが、総合的に判断できるということ。

例えば、現在の状況を見て、曖昧な回答をするべきかそうでないかを判断できる人や、自分が考えていることを言うべきなのか否かをわかっている人。

 

それから、肝心なときに力を出せる人や、普段のおこないがいいことや悪いことを生み出しているということを知っている人。

分別があって、答えを出すことの重要性を知っている人や、できるだけ穏便に物事を済ませようと心得ている人などのことを言う。

 

人が、人よりも優れているという判断をするのは、上記のようなことを垣間見たときであって、役職や立場のことを考えるときではない。

自分という者の感情に振り回されているときには、人から「劣っている」というレッテルを貼られる。

要するに、いつも自分の狭い思考と感情に振り回される人にとっては、そうではない人が「優」ということになるのである。

 

「優」という立場にいる者は、人の話を静かに聞くことができる。

「優」という立場にある者は、人の話をさえぎらずに聞くことができる。

例えばそういったことが、あなたが優れているのかどうかを判断する材料になる。

 

なぜそうなるのかというと、「優」という立場にある者は、性格的に穏便になるものであるため。

なぜそうなるのかというと、あまりにも人との判断の差が激しく、「優」という立場から「劣」を見るとき、反論する気も起こらないため。

 

「優」の立場にいる者とは、人との判断がまるで違うため、話し合いが決裂することさえ起こらない。

例えば、「劣」の立場にいる者が、自分の思いどおりに事を運ぼうとして声を荒げるのに対し、「優」の立場にある者は、「劣」の立場を察して優しい言葉をかけようとする。

つまりこのように、優劣に差がついた者たちが話し合うと丸くおさまるのに、そうでない者同士が話し合うと喧嘩になるというわけである。

 

あなたが優れているのかどうかということは、このように考えてみると明らかになると思う。

優れている者は、優れていなかった経験をもつため、優れていなかった頃の自分を、あらゆるところに見ることができる。

 

そうした経験を活かし、「優れている」という立場になった者は、優れていない者が、何を求めているのかを知っている。

それらを含めて物事を判断できるという、その姿勢が「優れている」と判断できるものであって、何らかの持ち物が増えることや、肩書きが増えるようなことが「優れている」のではない。

 

優れている者は、絶対的に余裕をもって、人と話をすることができる。

そういうことを目指すのであれば、あなたも、優れた人になることができるだろう。

 

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。