「努力について」の論

努力をするのは、好きだろうか?

それとも、嫌いだろうか?

 

あなたは、どういうときに意識をして、努力をしようとするのだろう?

努力をするというのは、「面白くないことをするべきなのだ」と、考えてはいないだろうか?

 

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前を向いて、歩いている実感。

努力というのは、嫌なことに対して一生懸命におこなうイメージがあるのだと思う。

だが実際、嫌なことを努力しても、嫌になるということが多い。

 

嫌なことを努力し、嫌ではなくなるということはあまり起こらない。

嫌なことは、嫌なことである。

 

だから、努力というのは、「嫌ではないこと」に対しておこなわなければならない。

努力というのは、あなたが興味あることや、できるようになったら楽しそうなことに対しておこなうべき。

 

嫌なことに対して努力するというのは、「嫌々おこなう」というだけのことであり、自分のやりたいことに向かっていないことを、誰かの意見に沿っておこなっているのだと思う。

努力をするということは、「そこに力を注いで、自分が成し得ていなかったことを成し得るようにもっていく」ということなのだから、何もわざわざあなたが嫌なことをする必要はない。

嫌なのかどうかはやってみなければわからないものだが、やってみて嫌だと感じることは、やはり続かないのだと思う。

 

努力というのは、楽しいものである。

なぜなら、あなたのできなかったことが、できるようになる感覚を味わうことが可能になるため。

 

そのための練習や訓練や勉強を重ねるということをおこなう時点において、あなたは、充足感に満たされることができる。

あなたの目標を確認し、前を向いて歩いている実感を感じることになる。

 

そういった感覚が努力を重ねるに相応しい環境となって、人は努力を重ねることができる。

つまり、まるで自分をいじめているかのような努力や、何のためにおこなうのかわからないような努力を重ねるのが必要と考えている者は、努力をする目標が見えていないのである。

 

あなたの目標は、充足感であったり、よろこびであったり、成し得ることへの実感であったりするべき。

単に自分を苦しめるような考えをもっている者は、そういうことを目標にせず、恐らくとんでもない漠然とした夢をもっている。

なんとなく、とてつもなく良くなるような、そんな感覚を目標にしているのである。

 

努力をするというのは、きちんと現実的に成し得るための目標をもつということであり、努力を嫌う者は、「なんとなく漠然とした夢」をもっている。

「なんとなく漠然とした夢」をもつ者は、何一つ具体的な夢を叶えようとしていないことに気づいていない。

自分のもつ夢が誰よりも大きいと勘違いし、漠然とした夢を抱えながら、何一つ具体的なことをおこなうことができないのである。

 

大きな夢というのは、小さな行動を重ねなければ、成し得ることができない。

その小さな行動を「努力」と呼ぶのであり、自分の行動を重視していない夢は、幻に過ぎない。

 

自分の行動を意識し始めると、「これこそが自分のやりたかったことである」と理解することができる。

努力とは、そうして楽しくおこなう過程のことを言うのである。

 

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。

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