「愛について」の論

 

あなたがたが見ているものは、すべてが「愛」である。

「愛」の性質のものしか、そこにないと思ってみたほうがいい。

 

あなたがたは、「そうは思えない」と思いながら、その「愛」を見ている。

 

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「愛」をもって、愛を制する。

私は、あなたがたに、こう言いたい。

あなたがたは、実際に見えているものだけが、本当の姿だと勘違いしている。

 

例えば、憎むべき者が現れたとき、それを「愛」とは思えない。

だがそういったときに、あなたの心に芽生えるのは、「愛がない」という気持ちであろう。

 

愛情がない状態において、なぜ「愛」のことを考えるのか、どうしてそこには憎しみのことばかりではなく、「愛」という飢えたものの考え方が入るのかを、考えてごらんなさい。

「愛がない」ということを考えるために、その「愛」がやってきたとは思わないのだろうか。

 

自分の心に、いかに「愛」がないのかを思い知るべきことは、次々と起こる。

「愛が欲しい」と思うようなことが起こるとき、あなたには、「愛」という形のものを欲しがる心が生まれる。

そういった心をもって、あなたが「愛」に満たされようとするときこそ、多くのことが、理解することのできるものとなるのである。

 

例えば、多くの人が困っているとする。

実際に、多くの人が困っていることがあるとして、あなたがおこなうべきが何かを考えるとき、必ず「愛」をもった考えが必要になる。

 

あなただけが多くの人のために何かをするのか・あなただけが多くの人を制するために行動を起こすべきか否か・あなただけが多くの人と対立するようなことをおこなうべきか否か・あなただけが多くの人を救うために動き出すべきか否かというような、考えをもつと思う。

それぞれの考えはさまざまなもので、あなた一人では手に負えないことも、たくさんあるだろう。

 

だが、必要なのは「愛」である。

あなたがたの考えには、「愛」が足りない。

だから、そういった難しい問題が起こったときには、すべてを投げ出すしか方法がなくなる。

 

しかし、一人が「愛」をもって立ち上がろうとすれば、「愛」をもって立ち上がる人は増える。

「愛」をもって立ち上がろうともせずに、いろいろな文句を言おうとする人は、そこに「愛」がないということに気づいていないのである。

 

すべてのことが「愛」だと、仮定してごらんなさい。

あなたを困らせる人・あなたを悩ませる出来事・あなたを腹立たせる根本的な問題・このことさえなければいいと思える状態。

それらのことは、すべて「愛」の化身である。

 

それに気づかず、あなたが憎めば憎むほど、あなたは「愛」の化身に化かされることになる。

なぜなら、それが「愛」だからだ。

あなたが、その愛を負かそうとするのなら、その愛を超える「愛」をもたねばならない。

 

その愛に勝る「愛」をもって、その愛を制することが必要になる。

あなたが、それに勝る「愛」をもつこともせず、どうしてその愛に勝ることができるのかと、一度考えてみるべき。

 

「愛」はあなたを包み込み、あなたに理解を与えようとしている。

それを受けとろうとし、さらなる「愛」をもってその愛を静かにおさめようとすることこそ、あなたのしたいことであろう。

 

ならば、現在の考えを改め、憎しみや憤りを感じる心を否定するほうがいい。

これは「愛」なのだと。
きっと、何かを教えようとする「愛」が、私を包もうとしているのだと。

それは、「愛」をもって制するべきものだと、考えを変えるほうがいい。

 

さて、その心をもって何ができるのかと考えることがあなたの役割であって、憤りを感じることに対して、イライラしている時間は無駄である。

何らかのことに辟易するときには、このことを思い出してみて欲しい。

 

あなたが、「愛が足りない」と感じている状態にあるときには、あなたの心に「愛」がない。

それにさえ気づくことができれば、どのように「愛」をもってこの愛を制するのかという話になるため、わかりやすい。

あなたが「愛」をもって物事を考えようとすれば、必ず話は進んでいく。

 

あなたが「自分に対する愛」と、「他人に対する愛」をもって、物事を考えるようにすればいいだけのこと。

それだけのことを、難しく考えないようにして欲しい。

 

さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。