あなたの進んでいる道は、「進む」というよろこびを伴う道であり、留まることを苦しみとする道である。
そして、あなたが歩く道の途中に何があるかと言えば、そこには「困ったこと」がある。
あなたが移動する動機となるのは、「素晴らしい感情」ではない。
あなたにとっての「困ったこと」である。
理解を進めるために、動く。
さて、すでに説明した通り、「困ったこと」というのは、あなたの「敵」ではない。
それは、あなたを移動させようとする、「愛」であると言える。
つまり、あなたはまず「困ったこと」を見て、あなたが「動く」ためのきっかけを得るのである。
そして、その「困ったこと」がいますぐ解決されないということを嘆くのをやめて、あなたの望みを知る必要をもっている。
そして、それを教えてくれた「愛」の方向を見つめ、あなたが感じていたい「感情」を知るために動くのだ。
あなたは、開けた「大地」の上に立ち、あなたの好みの「感情」を求める動きを選ばなければならない。
あなたにとって、どの方向への歩みが、目的に沿うものへの出会いに続くのか。
まずは、そういうことを考えてみて欲しい。
そうすることなく、ただただよろこびを全うする道を歩こうとするなど、不可能であるのは当然。
あなたが、ただ「困ったこと」に対処するべく、「困ったこと」をなくすべく人生を浪費することを選び、「いつかたどり着く道」に出会えることを期待して歩いたとしても、そういった道は現れない。
しかしあなたが、少しでもできることを進めようとするとき、つまり「試行錯誤」に踏み出すときに、どの方向が面白そうか・それが自分にとってどういうものであるか・あるいは「この方向ではなさそう」というような、判断材料というものが現れてくる。
つまり、あなたが「動く」ということによって、その方向の如何がはっきりしてくるということである。
「自分」という者が進みたい方向を探っているときには、それをまだ「理解できてないまま進む」ということが必要になる。
あなたにとって、その歩みを進めるということは、あなたが、理解を進めるということである。
何を最善とし、何を希望とし、何が自分に必要なのかということは、常に進んだときに見えてくる。
にもかかわらず、そこに立ち止まって「最善の方向とはどちらか」と考えているだけでは、その方向は見えてこない。
理解を進めるためには、動く必要がある。
あなたが、進んでいこうとする方向とは、あなたにとって「良さそうである」と感じられる方向。
但し、それを、間違えてしまうことを繰り返す兆しは、常に存在する。
多くの原因や条件、そして自分の「本当の気持ち」や、そのとき「必要になっていること」といった複雑に絡んでいる問題が、あなたを迷わせることになるだろう。
しかし、あなたがそれらに「迷う」ということを、無駄と考えてはいけない。
たしかに、あなたの周りは開けた「大地」のみなので、そこには不安があるだろう。
だが、あなたが「動く」べき方向について、あなたへのヒントはいつも与えられている。
がむしゃらに「うまくいくかどうかわからないこと」を、やってみるというのが、正しいとは言えない。
しかし、あなたがそこに、「愛」の見える方向を探そうとするのであれば、ある程度スムーズに物事は理解できるようになる。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。