「困った」と思うことが起こるのには、理由がある。
あなたは、そこから逃れようとしても、逃れられない理由をもつことを経験する。
そのような経験を重ねていくうちに、ある「パターン」としての、あなたの反応に、気づくことになるのである。
同じパターンが、現れている。
あなたが普段から、「困ったこと」をどのように受け止め、あるいは受け流し、あるいはあなたの抵抗をもって過ごしているのかということを、思い浮かべることができると思う。
その「パターン」を壊さなければ、同じ「困ったこと」が現れる、ということを見ることになる。
それでありながら、あなたの「困ったこと」を、「なくせない」と嘆いている。
それでは、話が進まない。
では、どう考えるのが良いのだろう?
「困ったこと」が、あなたを「困らせるべく現れる」というようにとらえている頭を、否定することが出来るのなら、話はスムーズになるのである。
それは、「敵」ではない。
あなたを「いじめるもの」ではない。
「そこには大きな愛をもつ」と考えることを、可能としているのかどうか、自分に問うてごらんなさい。
そこに、真実の扉をもっている。
なぜ、「困ったこと」が、「愛」なのだろう?
あなたがどうにもできずにいる状況があるとき、それが、あなたへの「愛のあらわれ」でしかないとすれば、「愛をもってのみ、それを超えられる」と知ることを、余儀なくされるため。
あなたは、常に愛を与えられているのだと、理解できていない。
しかし、それがわからずにいればいるほど、あなたの「困ったこと」が、あなたを苦しめていくだろう。
「では、どうすればよいのか」を考えても、わからない。
だから、「わかる頃をもってわかる」とさえ理解するならば、その理解に、時間をかけたくないとは思わなくなるはずである。
あなたにとっての「解決法」とは、「困ったこと」そのものを消していくことではなく、そこにあなたの「望み」を見出し、そちらに重点を置くことによって、困っていたのがなぜであるのかを理解できるようになるほどの、「正確に愛を知る」という作業である。
これは、人生の作業と呼べる。
あなたが望んでいることが、はっきりするのであれば、そこに向かえる。
しかし、「困ったことを、なくせない」と嘆くのであれば、向かえない。
つまり、「愛を知り、望みをもつ」ということを、教えられているのである。
「困ったこと」を見てネガティブな感情を覚えるとき、あなたが「愛ではない」と否定する対象は、あなたの「考え」でなければ始まらない。
あなたが「愛」を感じていないのならば、まず「愛」へと向くために、否定的な態度を一切やめてみること。
そして、「愛」を得るために必要なことを、自分の心に問うてみること。
あなたが、「愛を知る」にふさわしい「考え」をもって、物事をとらえることを始めるのなら、あなたの世界も変わる。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。