誤解を解きたいと思っている人は、自分が理解していることを、共有したいと考えている。
ところが、「誤解を解きたいと考えている人」と、「誤解をしている人」との話は、噛み合わない。
噛み合わないことを、噛み合わせようとするには、多大な労力が必要になってくる。
誤解を解く方法を探ろうとするときには、誤解を解くことに労力を費やす必要があるのかどうかというところを、まずは見極めるべきだと思う。
誤解を解く方法について、スピリチュアルな存在による見解とは
普段から、誤解を招くようなことがあったと感じるたびに、誤解を解こうとするのは薦めない。
そんなことをしようとしても、きりがないし、意味もない。
薦めるのは、一人で理解を進めていることについて、共有を求めるとき。
つまり、全員の理解を一致させたいときなどである。
「誤解」というのは、「相手が誤解している」と理解できる人のための言葉である。
そもそも、誰かに「誤解をしている」という説明をすることができる人とは、誤解をしている内容と、正しいこととの両方を知っている。
しかし、誤解の「誤」のほうしか知らない人は、「自分が誤解をしている」ということに気づいていない。
なぜなら、「正」のほうを知らないからである。
「正」のほうを知らない人間は、「正」と「誤」の両方を話そうとする人間に対し、「正」のほうの理解を促されるままにはならない。
「正」のほうを知らないのであるから、「誤」のほうを中心に物事を考えている。
そして、「自分の理解と違うことを言われる」という認識になるため、正しく教えてあげるべきだと考える。
つまり、誤解している人というのは、誤解している内容を、一生懸命伝えようとしてくる。
そういう人なのである。
恐らく、その誤解をしている人にとっては、自分がどのように理解しているのかを説明しなければわかってもらえていない段階にあると思っているため、「正」と「誤」の両方を知っている人に、自分の理解が正しいということを説明しようとすると思う。
一方、「誤解をしている」という認識ができる人にとっては、誤解をしている人の言葉とは、「そんなことはわかっている」もしくは、「そう誤解しているのはわかっている」と判断できる内容になる。
つまり、それを遮って正しい判断を伝えようとすると、「私の言うことを聞こうとしない人」と認識される。
こうして、「誤解を解きたいと考えている人」と、「誤解をしている人」との話は噛み合わなくなる。
この話を噛み合わせるためには、どうすればいいのか?
まず、この話を進めることができる人というのは、「誤解を解こうとしている人」に限られる。
「誤解を解こうとしている人」が、どうすればいいのかというと、正しく物事を伝えるのをやめるのである。
正しい物事を伝えるときには、正しい物事を説明するのではなく、間違った物事を説明しなければならない。
相反する説明をするから意見が対立することになるため、物事を順序正しく並べて話す必要をもっている。
-
最初に、「誤」のほうを正しいかのように話し始め、次に、そのままでは問題が出てくるという事実を理解させる。
-
そこではじめて、「こういう理解をするならば、問題は解消される」という、正しい理論をもってくる。
この例にならっていない話し合いは、すべて無効になる。
正しいことを、正しいのはこれだという結論から話し始めると、誤解をしている者にとっては、「間違った理論を説明している」という理解にしかならない。
あなたが、正しいことも、誤っていることも、両方を知った上で誤解を解きたい内容をもっている人ならば、かつては誤解をしていて、正しく理解をした人であるのだと思う。
ならば、その理解を順番に話し始める必要があるのだということ。
誤解を解くということは、誤った理解の先にある正解を知った人が、その理解を共有したくておこなうことが多い。
そういうときには、順番を間違えずに、誤解の先の正解の世界をきちんと見せてあげることを目的にしなければならない。
あなたが掛けた時間を短縮して伝えるのであれば、余計にその伝え方には注意が必要になる。
その事実をすっ飛ばして、早く誤解を解こうとすると、うまくいかないと思う。
ある人が誤解をしていることというのは、それが本当に誤解なら、本人がいつか気づくものであるとも言える。
だから、あなたが理解しているからといって、誤解を解く方法を懸命に考え、その誤解を早急に解くべきと判断するのは、早計かもしれない。
ただ、あなたにどうしても解きたい誤解があるのなら、あなたが順番に説明したいことを、説明するだけにすればいい。
それを聞き入れるかどうかは、他の人の自由だと思う。