批判というのは、「間違っていると思う部分」を、指摘したいときに起こる。
「自分という者の正しい目で見た、間違っている部分」を、きちんと直したくて起こる。
要するに、偏っている思考をもった人間が、真っ先におこなおうとすることが、批判であると言えるのである。
なぜ、悪意をもつ必要があるのか。
あなたは、批判をすることがあるだろうか?
批判をするときには、怒りにも似た正義感をもっているだろう。
そういうときには、自分の認識の甘さを、見直したほうがいい。
世の中に、「あなたが批判をしていいもの」など、存在していない。
「間違ってるのは、常に思考」というのが正しい見解であり、あなたが正しいと考えているあなたの「思考」をもって何かを正せるということは、一生起こらない。
それは、例えば子供が大人の言うことに逆らい、もっともらしいことを言うような、そんなことに似ている。
「子供の言うことだ」と蔑むにはあまりにも胸に刺さることを言われるため、相手はとまどってしまう。
批判というのは、ある程度、胸に刺さることを言われるからこそ気になるものなのだ。
だが、批判をされた人間にとっては、必ず反対意見が存在している。
もっとも、そういった反対意見を話すことも実は批判の意見を話すことと同じく、意味のないことである。
誰がどのような意見をもっているのかなど、一億人いれば一億通りの答えがあるのだから。
自分がどのような意見をもったのかを、話すことに目的はあるのか?
なぜそれを、怒り混じりに話す必要があるのだろうか。
「批判」というのは、ある程度悪意をもった人間がおこなうこと。
そして、「批評」というのが、ある程度中立の立場においてすべてを見ようとしている者がおこなうことである。
「批判」ということをおこなう者は、なぜ、悪意をもつ必要があるのか。
なぜかというと、批判をおこなうことの理由が自分の中にあるから、その批判する部分を垣間見たときに、自分の中の悪をなじるのである。
批判をおこなう者の顔を、よく見るのがいい。
気持ちの良さそうな顔をしている者など、一人もいない。
批判をおこなうときには、自分の惨めさや、歪んだ思考に怯えながら、相手にすべてをなすりつけて、自分の力のなさを謳うことになる。
批判をおこなうということは、「それ以外に何もできない」ということを、認めるに等しいことなのだ。
自分が批判をしていると思うときには、そのことをよく思い出してみるのがいい。
人に対する嫌味をあれこれと述べているようなときには、自分の力のなさを思い知っているときであろう。
自分という者に何かができると思う者は、批判をしようなどという考えをもたない。
だから、あなたに批判をしてくる者を見たのだとしても、「世の中には、いろいろな人がいるものだ」と、そう思えばいいだけのことなのである。
あなたも、まるで自分の力のなさに怯えるかのように、自分を非難してくる人間を見ることがあると思う。
そういうときには、同じようにその相手をののしり返すのは、やめておいたほうがいい。
あなたがそこでいかに正しいと思うことを言おうとも、相手の意見と同じく、ただ一人の人間の意見を嫌味ったらしく相手に話しているだけのことになってしまうからである。
自分の意見を人に言う目的をもっているのならまだしも、「批判をする目的」しかもっていない者に対しては、必ずこういう対応を心がけてみて欲しい。
「ありがとうございました」と、そう言って、終わらせてしまうこと。
「たった一人の、貴重なご意見を聞かせていただき、ありがとう」と言いなさい。
たとえそれが団体の意見だと言われたときにも、基本的には同じだと思って欲しいと思う。
「団体だと思い込んでいる、あなた一人の貴重なご意見、聞かせていただきました」と、受けとめるのがよい。
人の意見というのは、気にするのかどうかというよりも、それを一人の意見として聞く姿勢があるのかどうかという問題になる。
人の意見を聞くということは、興味があるのかどうかという問題になる。
その意見を聞くのかどうかということは、あなたが自分で決めようとすること。
指摘される内容が毎回同じようなことである場合や、まったく関係のない二人以上の人からの同意見があった場合には、それを「批評」として受けとめる必要をもっている。
それでも、あなたがどうするのかは、あなたが決めなければならない。
「自分という者の意見を差し置いて、聞く必要のある意見」などは、存在していない。
それをわかっていない者が、批判をすることによって、あなたに責任をなすりつけようとする。
皆が皆、あなたを批判するわけなどないだろう。
批判というのは、非常に偏った、一部の意見なのである。
批判をする人は、いる。
絶対に、いなくならない。
だが、あなたを批判する人を、絶滅させる必要はもっていない。
あなたがおこなうべきは、批判をなくすことではなく、批判をしている人とはまったく別の世界を見ている人々の意見をより多く集めて参考にさせてもらい、新しいことを開始しようとすること。
それ以外に重要なことなど、何もない。
そのことに気がつくことが、何より大切なのである。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。