転機というのは、じっと待っていても起こらない。
「私は、こういうふうにしてみるぞ」と決意し、自分から何かを起こそうとしたときに起こる。
転機とは、自分の好きにしているときに、起こるのである。
どうせダメなのだから、やってみよう。
転機というのは、普通にある物事の中、「よし、これをどうにかするぞ」と思った人に起こる。
単に何かが起こって、「それが転機になった」ということにはならない。
偶然に何かがあったときに、「よし、行動するぞ」と思えたら、それが転機になる。
いろいろなことが起こっているにもかかわらず、虚しいことばかり考えているならば、転機にはならない。
あなたが、何かを起こすぞと思わなければ、それは転機にならないのである。
一つ例を挙げよう。
あなたが、仕事をしていて、失敗をしたとする。
そういうときに、自分はとても後悔したり、反省をしたりすると思う。
そして、「今度はこうしてみよう」とすることを思いつき、実際にやってみたとする。
それが、転機になる。
もう一つ例を挙げる。
あなたが、恋人にふられたとする。
あなたは打ちひしがれ、死んでしまいたいと嘆くようになる。
そんなときに、「もう何もかも嫌になったけれども、これをおこなってから死ぬのも悪くない」と思い、何かを始めようとする。
それが、転機になる。
転機とは、後になって「ああそういえば、あれが転機だった」と思えるような、わかりやすい時期のことを言う。
あなたが何かをおこない、それがうまくいくなり、ちょっと軌道に乗るなりすることを、転機と呼ぶのである。
だが、誰かと出会っただけでは転機にはならず、何かが終わってしまっただけでは転機にはならず、切羽詰まっただけでは転機にはならない。
何かをしようとしない限り、あなたには、転じる機会は訪れない。
転機を迎えたいというふうに思うのならば、「自分は、発想を貧困にしている事実がある」ということを、認めなければならない。
人は、自分にふさわしいやり方をおこなっているつもりで、普段から慣れ合いになっている行動を、ただ続けている傾向にある。
その状態において、うまくいっていないことを改善しようとする気持ちを、あまりもっていない。
なぜなら、危険の伴う方法は回避したいし、本当にうまくいくのかどうかわからない状態において、行動するのが怖いからである。
だが、実際にうまくいかない状態が続くとき、「どうせうまくいっていないのだから、やってみよう」とする心が働く。
それが転機となる出来事であって、普段からそういうことを次々にやろうとしている者は、それを転機とは呼ばない。
普通に「好機」だと思うだけである。
それを「転機」と呼ぶのは、普段から、うまくいかないことを続けている者なのだ。
だから、あなたが転機に訪れて欲しいと思うのなら、どうしてもうまくいっていないことや困っていることについては、考え続けるのをやめて、思い切って何かを別の発想でおこなってみること。
それは、あなたが考えつく最良の案というよりも、「どうせダメなのだから、やろうと思ったことをやってみよう」といった、安易な考えでおこなうのがいいと思う。
そうして、あなたが「やってみよう」と思ったことが、功を奏すということが必ずある。
それを人は、あなたの転機と呼ぶだろう。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。