いじめというのは、どこで起こっているのだろう?
学校だろうか?
それ以外の場所では、起こっていないのだろうか。
子供のいじめと、大人のいじめでは、どちらが大変なのだろう?
例えば、子供が自殺をすると、大人が気づいてやらなければいけなかったと言い、大人が自殺をする理由は、本人にゆだねられていると言うのだろうか?
では、いったい誰が、いじめられたときの対処法を教えるのだろう。
そこから逃げ出すことを、考えること。
あなたは、いじめられたときの対処法を、知っているだろうか?
いじめというのは、社会的に問題になっていることと、なっていないことがあると思う。
いじめられたときの対処法を身につけることは、難しい。
なぜなら、皆それぞれに、いじめたりいじめられたりする理由をもっているからである。
人が人をいじめるというのは、それこそ日常茶飯事におこなわれても、おかしくない。
例えば、その人が気に入らないとか、からかってやろうとか、嫌味を言ってみようとか、普通はそのように始まる。
そこからどのようにエスカレートするか、ということが問題になってくるのであって、そういったことがなくなるということはないと思う。
では、どういったときに、それが問題に発展するのかというと、自分が苦痛に思っているときに、行動に変える力というものをもっていないときである。
苦痛を感じているときに、耐えるべきと考えたり、苦痛に慣れようとしたり、苦痛である自分のほうが悪いとか、苦痛であるのが当然と考えていたりする者が、「いじめられる側」になる。
反対に、自分が苦痛に思っているのはおかしいとか、苦痛であるのは自分のせいではないとか、何か他に原因があるとか、誰かのせいにしてやろうとか、発散させようとか、こうしたら楽になるかもしれないと考えたりする者が「いじめる側」になる。
要するに、「苦痛である」ということを真摯に受けとめ、それを自分の危険信号として、早くに正しい考えを身につけようとしない者が、こうした問題のある考え方をすることによって、いじめというものが起こるのである。
そういう意味において、「いじめる側」か「いじめられる側」の、どちらが正しいのかということは、あまり追及する必要がない。
どちらもマイナスの感情をもって、マイナスの方向に向かって行く。
「いじめる側」は「いじめられる側」に比べ、精神の安定があると判断するのは、間違いである。
大きく歪んだ考えに振り回されている者は、もれなく精神が不安定になり、どんな加害者も、被害者のごとく打ちのめされている。
だから、もしあなたがいじめられるようなことがあれば、「相手は、のうのうと私をいじめてよろこんでいる」などと、勘違いしないほうがいい。
それに、あなたが一人で、簡単に解決するべきなどと思わないほうがいい。
よく聞いて欲しいのだけど、歪んだ考えを、歪んだ考えのままにぶつけ合ったところで、何も解決することはない。
「いじめる側」と「いじめられる側」が和解をして終了するということは、目指さないほうがいいのである。
あなたがもしも、第三者としてそういった場面に遭遇したときには、このように考えてみて欲しい。
とにかくそういった問題が起こり得るときには、できる限り双方を引き離すことを前提に考えること。
そしてそれぞれの問題を、それぞれに返して考えさせることが大切。
また、それが難しいときには、あなたが「いじめる側」をなんとかしようとするのではなく、「いじめられる側」を、「いじめる側」から引き離す方法を考えること。
そうすることなく、何かを丸くおさめようなどと、考えてはいけない。
なぜなら、「自分は間違っていない」という考えのもとにすべての者が動いているからこそ、そのような問題が起こっているにもかかわらず、あなたがそれに加わって参戦することには、愚かさを感じるべきであるため。
いじめというのは、ある間違った考えにおいて引き起こされ、間違った考えによって立場が分かれることになってしまう問題に過ぎない。
「いじめる側」も「いじめられる側」も、マイナスに傾いていく思考を止められなくなっていく、被害者に過ぎない。
そもそも自分の思考の偏りにおいていじめが起こるのだということを理解していなければ、すべて者が、平等に起こす可能性のある問題なのである。
だから、いじめがなくなる社会を目指すのではなく、「では、正しく考えよう」と思う環境をつくっていくことを目指すか否かの決断となる。
いじめを受けている者は、最もプラスの方向に物事を考えてくれそうな人に相談するか、そこから逃げ出すことを考えること。
大切なのは、「自分が苦痛を感じていることを知っている」ということであり、そこからいますぐには逃げ出せないにしても、「普通の状態ではない」として考える必要をもっている。
いじめている側は、すでに自分の考えを嫌っている者がほとんどであるため、説得しようとはしないほうがいい。
その場所にいることが苦痛であることを知っている者は、苦痛でなくなるための策を練ろうとするべき。
そうすることがプラスに傾くことであって、その経験が役に立つときが、必ずくる。
それを、忘れないで欲しいと思う。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。