「嫉妬心」には、向き合わなくていい。
「嫉妬心」を、どうにかする必要はない。
「嫉妬心」は、自分が人に比べてどうだということによって、生まれているものではない。
「嫉妬心」を感じるのは、自分が本当に経験したいことを、人がおこなっているからである。
あなたにも、できるからこそ感じている。
そもそも、あなたが「こうであればいいな」と思っていることは、すでに人が経験していることだと思う。
うらやましいと思ったり、ねたんでしまったり、そのほうがいいなと思ったりすることは、すべて「自分が、人のおこなっていることを見て感じていること」である。
人に対する「嫉妬心」が爆発的に出てくる瞬間というのは、「自分がそうしたかったのに」と思うときである。
それが叶わないから困っているのではなく、「自分が何を願っていたのか」を痛烈に知るときであると思ったほうがいい。
それをヒントに、あなたはもっと、あなたのためになることを始めるのがいいと思う。
たとえその「嫉妬心」をなんとかすることができなくとも、同じようなことに対して、もっとその願いに近づくことは、必ずできる。
あなたにもできるからこそ、生まれているのが「嫉妬心」だと思って欲しい。
そうでなければ、「あきらめ」とか、「疎外感」とか、あなたの「絶望感」を感じるのが普通である。
「嫉妬心」というのは、強烈にあなたの心に残る。
それは、「あなたが、これから頑張る」という要素になるもの。
何に対して頑張ることにより、あなたがその願いに近づくのかを、考えてみて欲しい。
例えば、自分の好きな人が、自分ではない人を好きな場合などには「嫉妬心」が生まれるけれども、それは「好きな人が自分を見ていないから」ではなく、「きちんと自分を見てくれることをうらやましがっているから」だと思う。
つまり、そういった場合には、あなたが好きな相手に対して「嫉妬心」を抱くのではなく、相手に関わった人間に対して「嫉妬心」を抱くはず。
それは、自分がきちんと愛される人間になりたいから。
それ以外の何ものでもない。
にもかかわらず、自分には何かが足りないとか、コンプレックスがあるからだとか、そういうことが原因でダメだと思っているようなことがある。
だが本当は、自分の愛する「自分」になって、愛して欲しいだけなのである。
自分には「嫉妬心」がないと思う場合、それはそれでかまわない。
だが、その場合はいまの自分に満足しているわけではなく、「嫉妬心」というものを避けている可能性をもっている。
「嫉妬心」というものは、広い世界に出れば、必ず感じるものである。
だから、「嫉妬心」を感じたくないなどと、思わないほうがいい。
どんどん「嫉妬心」を感じ、自分がなりたいもののイメージを強め、それに向かって邁進することを考えるのがいい。
「嫉妬をする」ということは、「こうなりたいというヒントを得ている」ということ。
それほどわかりやすいヒントを得ているにもかかわらず、何もしないということを選ぼうとする者は、恐らくその「嫉妬心」に押しつぶされそうな自分を感じ、何かをせずにはいられなくなってくる。
その際、正しく努力できる者が、必ず良い方向に向かう。
それを忘れないで欲しい。
どうしても叶えたい夢を、叶えたいと思うのであれば、その「嫉妬心」をバネにするのが一番いい。
あなたの挫折や「嫉妬心」をバネにして何をするのかを考えることによって、あなたが今度は「嫉妬心」を感じさせる側に、移行する日がやってくる。
そのときにはじめて、あなたがあのとき「嫉妬心」を感じた人も、こうして頑張ったのだということに、気づくことができるだろう。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。