「良い循環」というのは、あなたが「より楽しい」と思うものを追っているときに起こる。
あなたは、「あなたのよろこびを追求する」ということによって、必ず「良い循環」というものを感じるようになる。
「良い循環を生む」ということは、「あなたが好みのことを追求し、そのよろこびを追う心をもって、常に向上を目指していく」ということに過ぎないのである。
楽しくなければ、「原点に戻る」だけ。
あなたにとっての「良い結果」を捻出するためには、あなたが、そのうれしい「結果」についてのイメージを頭の中に思い浮かべ、「そのイメージを形にすること」を考えていく必要がある。
あなたのイメージが何もないままに、「良い結果」と思えるものを捻出することはできない。
だからまずは、あなたの頭の中に、イメージを確立させることを考えてみて欲しい。
イメージが頭の中にできあがったなら、後は、「そのイメージを捻出する」ための努力をすることができるのである。
イメージというのは、あなたの努力や思案によって生まれるものではない。
あなたのイメージを湧かせるために必要なのは、「情報」である。
イメージすることが難しい理由とは、常に、現在の「情報」が不足しているためなのだ。
「情報」からイメージができるのだから、あなたがイメージしようとするときには、関連する「優れた情報」を増やす必要がある。
満足できる「情報」が揃ったなら、イメージを確立させようとすること。
イメージというものは、あなたが「優れた情報」を仕入れ、「幸せの要素」を含んだ考えをもって検討してみれば、努力というものを不要にして思い浮かんでくるものである。
そしてその、頭の中に確立させたイメージを、いかにうまく捻出する作業をおこなうかというところが、あなたの努力を費やすべきところとなる。
そうした正しい方法をもって捻出しようとすることが「良い結果」となり、「良い循環」を生んでいくのだから、あなたが「努力するべきところ」を間違えないようにすること。
間違いやすいのは、「情報」が足りない状態において、「そのイメージを頭の中から搾り出そうと、努力しようとする」というようなことである。
方法が間違っている状態において、物事がうまくいくということは起こらない。
また、自分が何を求めているのか、はっきりイメージできないままに「努力をする」というのは、非常に面白くない行為である。
あなたが「面白くない」と思いながら続ける努力とは、決して面白いものにはならない。
あなたにとって面白いこととは、自分の向上や、自分に役立つものがそこにあると感じることについて、時間を費やすことではないだろうか?
「努力のしどころ」とは、常に、その可能性を広げるために、あなたが伸ばしていけるところ。
つまり、あなたの「技術」というところである。
努力とは本来、物事を「面白くする」ための工夫をするものである。
「面白くする」ための工夫とは、あなたにとって、この上なく楽しい作業となるはずである。
「面白くない努力」をやめ、面白い工夫のできる努力をしていこうとすること。
そうしてよろこびを求めていくにあたって、あなたの「幸せの要素」というものが、根深くあなたの心に残っていくのを感じてみて欲しい。
あなたが「楽しい」と感じることをもって「良い循環」が生まれれば、「幸せの要素」とは、その循環における原点となる。
つまり、あなたの「幸せの要素」とは何かというところから物事を始めるのであれば、あなたのよろこびを求めるということが循環しなくなってくるときにも、その「原点に戻る」ということが可能になる。
だからあなたは、必ずあなたが「幸せの要素」を感じ、向上させたいと感じるものへの循環を求めるようにすること。
人生が楽しくないと感じるときには、「原点に戻る」だけでいい。
参考にして欲しいと思う。