あなたは、多くの「情報」を取り入れ、新たな「情報」を捻出するという、循環の中にいる。
そういった循環において、「良い結果」を生むために得るべきなのは、あなたが「幸せの要素」を感じられる「情報」である。
「幸せの要素」とは、あなたが好んでいる要素のこと。
「自分がうれしい・自分のためになる・自分の理解を進められる・自分をもっと向上させられる」と感じることのできる要素である。
どんどん、向上を目指せるように。
あなたにとって、「良い結果」と感じられるのは、どのような結果だろう。
あなたが、何かをおこなったことによって、「素晴らしい評価」を、受けることだろうか?
ならばあなたは、何らかの「素晴らしい評価」を得られるまでは、満足することができないのだろうか。
あなたにとっての「良い結果」とは、「この上なく素晴らしいと評価されること」ではなく、あなたが、「どんどん向上を目指せるようになること」ではないだろうか?
「良い結果」というのは、「絶大なるよろこびを感じて、そこで終了する結果」なのではなく、「自分が、何をおこなう必要があるのか」ということが、次々と理解できるに至る結果であると言える。
多くの人は、そういった「良い結果」を出せるための「才能」が、自分にあるのかどうかというところが重要だと考えている。
だが、「才能」というのは、人々にとって「生まれながらに備わっているもの」なのだろうか。
あなたが「生まれながらにもっている」のは、「才能」ではなく、「幸せの要素」なのではないだろうか?
あなたが「楽しい」と感じることはどんなことなのか、思い浮かべてみて欲しい。
あなたが「楽しい」と思うことは、どうして「楽しい」と思えるのだろう?
あなたの「楽しい」と思える複数のことを考え、「そこに共通しているものとは何か?」と考えてみて欲しい。
その要素が、もっと物事の中に含まれていれば、あなたには「楽しい」と感じられることが、増えるのではないだろうか?
あなたの「幸せの要素」というものが入っていれば、あなたにとって、物事は楽しく感じられる。
「幸せの要素」を含んでいるのかどうか、というところを中心としなければ、あなたが「楽しい」と感じることはない。
あなたは、「幸せの要素」を含む考えをもつことによって、「物事の進展する兆し」を感じる結果を生むことができる。
なぜならば、「自分の好きなことを追求している」のなら、それを改良していくことの努力を惜しまぬ心をもてるため。
あなたが、「よろこびを追求している」にもかかわらず、「良い循環」の兆しの見えない結果など、あるのだろうか。
あなたが探そうとする「情報」とは、常にあなたの「幸せの要素」を含んだものであると考え、何事にもあなたがその要素を絡めて楽しんでいこうとすれば、あなたにとっての「良い結果」は捻出しやすくなる。
仕事であれば、「良い仕事」という結果が出せる。
趣味であれば、「良い工夫」という結果が出せる。
会話であれば、「あなたの話が興味深い」という印象を与える。
そのように、あなたが捻出する結果が優れていくことによって、あなたがやってみようとすることが、だんだん「面白いように進む」と感じられるようになる。
あなたが「より良い結果」を求めて、その能力を向上させていくからこそ、人はあなたを、評価していく。
あなたにしてみれば、「単に、好きでおこなっていることが、良い循環を生み出していると気づく」といった状態になる。
それをもって人は、あなたを「才能ある者」とみなすようになるのである。
あなたが注意するべきことは、あなたにとっての「良い循環」を生み出していくにあたって、「何を努力すべきか」というところを間違えないようにすることである。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。