あなたは、「自分の選択」というものを、どのようにとらえているだろう。
あなたは常に、自分にとって良いと信じたものを選んできた、と言えるだろうか?
まずあなたが、「選択」ということをどのようにとらえているのか、というところを見て欲しいと思う。
あなたにとって「選択の余地があること」
あなたは現在、自分のやりたいことを「選択」しているだろうか。
あなたにとっての大切な「選択」ということについて、考えてみて欲しい。
いまに至るまでの「選択」を、気に入らないと思っていること。
ここまでについてはよしとし、その先の「選択」を迷っていること。
現在に何を「選択」しているのかという問いに、答えられないことなどについて。
「選択」についての考えを巡らせているときの状態は、あなたにとって心地よいものだろうか?
いま、あなたがやるべきと思っていること・やろうとしていることとは、あなたがそれを好んで、選んでいることであるはず。
もしも、そうではないと思うのであれば、あなたが選んでいないことを、いったい誰が選んでいるのだろう?
こういった問いかけによって、あなたがいま、最も大切とするところを見ようとするならば、さまざまな感情に気づくことができる。
多くの場合、目の前にあった選択肢の中においてあなたがおこなってきた「選択」とは、あなたが「選びたくて仕方なかったものであるか?」と問えば、そうでない可能性が高い。
つまり、「選びに選んだ」という自覚を伴って、あなたが「選んでいる瞬間」を感じたわけでもないことが、あなたにとっては不可解であり、そして「私が選んでいるわけではない」と言いたいことであろう。
しかし、あなたが自分の人生の「選択」として、あなたの心の満足を求めるのであれば、「私が選んでいるわけではないことを、どのようにとらえるか」ということを選択する機会が、常に現在にある と理解できるはず。
あなたがいま、「自分の選択」ということを考えるにあたって感じていること、それこそが、あなたにとって「選択の余地があること」だと言えるのである。
あなたは、どういうときに、あなたの「選択」をするのだと考えているだろうか。
何かが起こったときに、「こっちにするべきか、あっちにするべきか」と考える、という具合だろうか。
そうであるとすれば、あなたが「選択」をする理由とは何だろう?
「選択」の目的としていることとは、「自分がやりたいことをしていく」ということだろうか。
それとも、「自分のできる範囲のことをしていかなければならない」ということなのだろうか?
もしも前者でありたいとするのなら、あなたの「選択」というのは、現在の狭い選択肢の中において、成り立っていくものだろうか。
「自分の選択」とは、あなたが、「ある二つ三つの中から選ぶ」といったものを指しているのではない。
最終決定を下すといった意味をもっているのではなく、大きく掲げた「目標」というものがあるとして、そこにたどり着くためにまずは何を選んでみるかといった、手段を考える意味をもっているのである。
あなたがその意味を考えずに、「現在の選択」を繰り返しているのだとすれば、それは「自分の選択」と呼べるものではなく、現在「成り行きをもって眺めている」状態だと言える。
しかし、「どこに行こうとするのか」というあなたのイメージに沿うことなく、「自分の選択」というものが勝手に生まれることはない。
「自分の選択」を気持ち良くおこなうためには、自分の「意思」を決定しようとしなければならない。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。