誰もが、「自分が何を好んでいるのか」ということを、知りたがっている。
「自分が好んでいるもの」を、選択したがっている。
自分が「中心にしたい気持ち」を、手放したくないと感じている。
あなたが何を中心にするのかを決めていなければ、中心とするものがないとして、ブレる気持ちがあることを当然にして歩くことになる。
何をよろこびとして、進もうとするのか?
その心の中にある「自分の望んでいるところ」を、きちんと見てやれないということが、あなたのすべてを迷わせていくことになる。
だから、「あなたの中心とするべきことを、あなたの選択によって決める」というところを目指すのだ。
あなたが何をよろこびとして進もうとするのか、その答えを見つけられているだろうか?
あなたにとってのよろこびとは、どういう感情のことを言うのだろう。
「この感情をよろこびとして、進んでいける道」を創ろうとして、考えることができているだろうか?
あなたが中心とすることを見つけられないのであれば、まずは何を自分のよろこびとするのかという、その「目的」を探すという作業が必要になる。
あなたの好みの感情とは、あなたが移動を果たすときに見つかっていくものであり、魔法のように突発的な変化として現れてくるものではない。
近道をしたければ、いまの自分のよろこびの感情を感じられそうなことを、早くおこなってみるという方法しかないのである。
そのために、あなたは迷いながら足を踏み出し、心の指針を眺めつつ「好みの感情」を探るという作業、つまり試行錯誤ということをおこなう必要がある。
その作業をおこなわず、「困ったこと」に対する思考を繰り返しながら、「いかに早く成功に達するか」といったことを考えるなど、滑稽に見えよう。
その「進み方」を重要とするのではなく、あなたのよろこびというものを中心としたことを考えているのかどうか、というところを見て欲しいと思う。
あなたが、よろこびを中心としたことをおこなおうとしているならば、多くの物事が進んで行く中で、よろこびを得られないと知るや否や、あなたの方向を変えることができるはず。
あなたが自分の好んでいる気持ちを求めるのであれば、そういった好みの感情から外れる行為を選ばないための、得策を考えるようになる。
あなた以外の人には、あなたのよろこびを判断する力はない。
あなたにとってよろこびでないものが、誰かの力をもって、よろこびに変わることはない。
しかし、あなたが自身のよろこびとする気持ちを知っていくのなら、あらゆるものが、あなたに対立することなく存在するものとなる。
さあ、自分のよろこびを見つける旅を続けよう。
あなたにとって、どういった気持ちが大切と感じるのか?
あなたの「考え」とは、その気持ちに沿うための案を出そうして、働いているだろうか?
自分が何処に行くのかはまだわからなくとも、あなたがその気持ちに沿うことを選んでいく限り、あなたのよろこびに沿う道が続いていく。
あなたがよろこびの気持ちを見つけたいと思う限り、「その気持ちを探すことが必要」として、歩いていくことができる。
歩いていくうちに、たまたまあなたのよろこびを見つけたいのなら、それもいい。
あなたがよろこびの気持ちを中心にして物事を選択しようとしていれば、あなたにとってどうすることがベストであるのかを、悩まないことになる。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。