あなたは「大地」の上に立ち、「愛」を感じる方向へと移動していくことを望んでいる。
あなたの心には、「愛」の方向を探す、コンパスのような指針が存在している。
ところがその指針とは、あなたが「動く」ということをしない限り、その針を動かそうとはしないのである。
何を経験するのかを決めるのは、あなた。
「愛の方向」とは、あなたにとって好みのものがありそうな方向であると言える。
あなたは、自分の感情が良くなりそうな方向を選び、その一歩を踏み出し、好みの感情を求めていく。
それは、この「大地」の上を、自分の感覚というコンパスのもと動く、ということになる。
あなたの心の中をじっと見つめ、「私がいま進んでいる方向とは、こちらでよいものか?」と確認してみて欲しい。
そうすることでわかることは、常に「こちらではないようだ」とする心の反応のみ。
つまりあなたは、歩みを進めるたびにその指針を眺め、「こちらではないようだ」ということのみを確認することができる。
そのように指針が働くため、あなたが動いてみることを選ばない限り、その指針は役には立たない。
「こちらであるかどうか、まだわからない」という反応を示す心を見るのであれば、あなたはさらに進んでみなければならない。
自分にとって好みを感じそうな方向へと向かい、そしてまた、心の指針を眺めてみる。
そういう作業をせずにいるということとは、あなたがでたらめに歩き、あるいはその場に留まり、あなたの指針が反応しているのを見ないということになる。
さて、その指針とは、「ずばりこの方向」という正解を、なぜあなたに教えてくれないのだろう?
それは、「あなたが何を経験するのか」ということを決めるのは常にあなたであり、指針ではないためである。
あなたは、はっきりとした方向や道を示されることなく、あなたが経験したいことを、自由に経験していくことができる。
「愛の方向」がどちらにあるかを知るためには、まず、動かなければならない。
それから、その指針が「まだわからない」という反応を示しているのなら、その過程において、大きくそれているものではないと知る。
そして、どのような形であれ、あなたにとって必要であることを学び、理解を進めていくことになるのである。
四方八方に、壁はない。
さあ、あなたのコンパスを眺める前に、「こちらではないかな?」と思う方向へ、一歩進んでみて欲しい。
そのとき、あなたの心とは、どんな反応をするのだろう。
わからないのであれば、もう一歩、進んでみよう。
あなたが、「この方向ではない」と判断するべきなのは、
自らの心の指針が「こちらではない」と示すときであって、あなたにとって素晴しい景色が見えないときではない。
あなたは、「大地」の上を進んでいくうちに、素晴らしい景色を見ることもあれば、どうしてこんな景色なのかと驚くようなこともあるということ。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。