あなたにとって、「困っている」ことがあるならば、そこにたたずんでいることを終わらせ、「進む」ということを考えるのみ。
あなたが、道を進むにあたり、「試行錯誤」というものは、必ず心要となる。
「試行錯誤」とは、何も難しいことを何度も重ねて、苦労をするという意味ではない。
ただあなたが、より関心を求めたいことへと、関心を移動させていくということである。
嫌な「気持ち」から、離れるために。
単純な例を、示してみよう。
例えば、テレビで嫌なニュースが流れているのを、じっと見ているあなたがいる。
あなたは、繰り返し流れているその話はもう聞きたくないと考え、「困っている」とする。
あなたはそこで、たたずむ必要があると考えるだろうか?
単にテレビのチャンネルをいくつか切り替える、という作業をするだろう。
そのとき、いまのあなたにとって、完璧に素晴らしい番組を見つけることを願って、そうする者はいないと思う。
ただ、いまの話はもう聞きたくないため、少し自分の興味あるところの話をしていそうな番組を探すだろう。
そこで、たいして面白いものがないと思ったなら、テレビを消して、違うことへと関心を向けることになる。
あなたが「試行錯誤」をするというのは、ただこのように、留まらずに関心を移し、どこにあなたの関心を向けていくのかを変化させ、「これ」と思える関心を寄せられるところへ移動していくということである。
何を始めるにせよ、「何かしらそこにあるもの」を見つけ、そして「何もないところ」へ「あなたらしさ」を入れ、変化させ、それを追求していく作業が必要になる。
そのうちに、あなたが選びたいものを見つけては、それを堪能する自分を感じるようになるだろう。
そうすることによってあなたが、「困るサイクル」ではなく、「困らないサイクル」での考えに、没頭できる時間が増えていくのである。
さて、こうして聞いてみれば単純なことなのに、実に難しいことをするかのように、人生の「試行錯誤」へ踏み出すのに時間がかかるのはなぜか?
あなたがしていることとは、不快なニュースに身を任せ、そのチャンネルを替えようとしないことに、等しくはないだろうか。
そのチャンネルを、他に切り替える、もしくは、テレビを消す・席を立つ、といった行動を起こさないまま、不快さに身を任せる理由とは何だろう?
何かがあなたを止めているとすれば、ただ、あなたの「そうすることができない」という思い違いであると言える。
まず、あなたがおこなうべきこととは、現在の最も身を置きたくないとする「気持ち」を離れる、ということ。
あなたが、感じている嫌な「気持ち」から離れるために、できることとは何か。
あなたのことを理解するため、あなたが始めることというものは、最初から、あなたを満足させるものではない。
あなたの「試行錯誤」によって、変化させるもの。
そのためにあなたは、「何をするか」について迷うことを、やめなければならない。
つまり、あなたが「はじめにやってみること」とは、これから変化を見るための、最初の「試行」。
あなたがすることは、「完璧な目標に沿った完璧な行為」ではなく、「試行」に過ぎない。
「始めること」を悩んでいても、「始められない理由」を思いつくのみ。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。