「困ったことを考える」というのは、「その場にたたずむ」ということである。
「困っているのだから、動けない」と、あなたは思うのかもしれない。
しかし、あなたが「困る」ということを考えていられる「いま現在」とは、それほど困っている事態ではないのである。
いま、動かないことには始まらない。
例えば、あなたが「喉が渇いて、死にそう」という状況を例に出すと、その喉の渇きは深刻ではあるけれど、そう考えている「いま」が限界ではない、ということ。
つまり、このまま何も飲めないなら、困る。
あなたが「困る」という考えを巡らせているとき、まだ、そこにおいて限界を表すものではない。
あなたが「困る」と言うのは、困る事態になり得る「少し先の未来」を、考えているためだと思う。
そうであるなら、あなたは、その場において悩んでいる場合ではないはず。
あなたが困っているのであれば、そこでたたずんでいることを無意味と考え、動くべき。
しかし、多くの人は、よくそこで「たたずんで考える」ということを、繰り返してしまう。
なぜ「考える」のかというと、「あなた自身の場所を、変えられない」と思っているため。
つまり、「自分の状況は、変わらない」ことを、信じている。
「状況を変える力は、もっていない」と、信じている。
あなたが、「いまとは異なる状況に進んでいく」という気持ちをもたぬまま、「考える」から、そうなるのだ。
その場において、たたずんでいるあなたの「考え」は、未来においてもまだ、「いまと同じ場所にいる」として、困った状態を想像しているのである。
しかし、私が言いたいこととは、結局のところ、「いま、動かないことには始まらない」という結論が、あなたを苦しめていくだろうということ。
つまり、一番困るのは、そこにたたずむことを続けるということである。
実際、あなたは、「動かずにいれば、困る」ということに、気づくしかない。
あなたがいま、できることはなにか?
それは、あなたが、その場から一歩離れる、ということ。
そして、その一歩を踏み出せるのなら、二歩目も踏み出せると知るべき。
あなたにとって、そこからどこに行くべきかはまだわからずとも、「そこを離れるのはわかった」と知るべき。
一歩二歩進んだところにあるものを見てみようと考え、その立ち止まった「思考」を動かすべく、違う試みを始めるとき、その「困る」というサイクルを抜けられる。
しかし、これまで、そうすることさえ躊躇していたあなたに、突如、すべての答えは現れない。
あなたに言っておきたいことは、あなたの「考え」とは、この段階においてさほど変化を伴うものではない、ということを理解しておくべきということである。
「考え」とは、何かの拍子に素晴らしく変化するものではない。
あなたが、歩みを進めるに従い、理解する内容によって、変化するのである。
つまり、あなたがその場を移動するのは、「素晴らしい進歩を遂げることを期待するため」ではなく、そこに至るまでの「試行錯誤に踏み出すため」なのである。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。