「あなたが困ってないとするのなら、何をしますか?」と問えば、「いまできること」ではなく、「いまできないこと」を挙げるだろう。
だが、実のところ、それを終えたとき、あなたは何をするのだろう?
あなたが「困っている」のは、そこを理解しようとせず、「困らないようになったらできる、あたりまえのこと」への執着をもって、話を進めようとしているからではないだろうか。
するべきことは、「いまできること」の中にある。
あなたが、「困っていなければできるのに」と思うようなことが、できるようになったなら、あなたは何をするのだろう。
そこの答えを出してみて、「いま、できることはないのか」と考えるのなら、必ず「いまできること」というものは、存在する。
あなたが、「こんなことをして、解決するものか?」と思うようなことをすることがあるのは、「困ったこと」が起こるためである。
「困ったときにしたこと」によって、あなたは、自分の道を歩き始めることになる。
あなたがそれを信じられないとして、「困ったこと」との奮闘を始めても、恐らくはもう一度同じ場所へと戻り、格闘することの無駄を理解することになる。
すなわち、あなたがするべきことは最初から「いまできないこと」ではなく、「いまできること」の中にある。
あなたが、「何を求めるのか」を知る「愛」の存在は、元よりそれを承知の上、あなたへの道しるべを指しているに等しいのである。
これまでお話したことについて、もう一度考えてみて欲しい。
まず、あなたの中に、「困ったこと」があるとしよう。
あなたはその「困ったこと」をなくしてしまいたいと思うはず。
だが、「困ったこと」は、簡単にはなくならない。
あなたは、それを「愛」とは判断できていない。
「では、どうするのか」と考え進めるとき、あなたは「望んでいることを、明らかにしよう」とするだろう。
このとき、「望んでいること」と、「困ったことをなくす」というのは、別であるという判断を必要にしている。
「望んでいること」を考えるきっかけとなるのは、確かにその「困ったこと」であるのだが、「何を望むのか」ということについて考えるときには、その「困ったこと」を除いた考えが必要になる。
そこにこそ、「困ったこと」が現れた意味も、存在していくのである。
なぜなら、困っているからこそ、「困らなければ、どうするのか」ということを、考えようとする機会を得るからである。
困らなければ、そんなことは思いつくまい。
しかしあなたは、自らの「困ったこと」をなくせないまま、「他のことなど考えられない」というものを強く感じるがゆえ、その考えを変えて、他のことに気をそらせる案を求めたくない、という気持ちをもっている。
つまり、あなたがいま述べたことを理解するのを最も難解とする理由とは、「現在の考え」の中、「新しい考え」を入れるのを拒否するということにこだわるためである。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。