あなたの「困ったこと」は、そこに「望み」を見出すべくして現れた。
この、大きな愛を、知って欲しい。
あなたの考えをはるかに超えた愛がそこに存在し、あなたの考えを、より良いものへと変換させるにふさわしいことを、あなたに与えているのである。
「愛」は、どこにあるのか?
あなたの周りに、「愛」を感じるだろうか。
それは、消えたり現れたりするのではない。
あなたがそれを、見たり、見なかったりしている。
そうでないのなら、あなたに見えるのは、そこにある「愛」のみであるはず。
「愛」のほうが、消えているのではないのだから。
「愛」をもってのみ、「困ったこと」は解決される。
「愛」をもってとらえれば、そこに「愛」は現れる。
あなたが「困ったこと」について考えているとき、あなたは「愛」を見ていない。
あなたが困っているのに、どうして「愛」を感じられるものかとすぐに反応し、それを理解しようとしていない。
あなたにとって、「愛を知る」という作業が重要でない限り、あなたは、苦しいと感じる。
あなたはそれを、「敵」とみなす。
――あなたが苦しむ。
あなたはそれを、「障害」とみなす。
――あなたは苦しい。
あなたはそれを、「夢を叶えられない理由」とみなす。
――すごく苦しい。
どうして、こんなに苦しいのか?
そこに「愛」がないから、ということについては、すぐにわかるだろう。
あなたは、そこに「愛」がないと思う。
そして、「愛」はどこにあるのかと考える。
しかし、「愛」が見つからない。
「愛」はそこにあるのに、あなたは見ていない。
そこに「愛」など存在しない、と感じているのである。
なぜなら、あなたが見ているのが「愛」ではないため、あなたが見ているのが、「愛」ではないことだけは、必ずわかる。
ならば、どうすればいいのだろう?
あなたがそれを、「愛」とみなし、それこそ自分に必要とするものを教えてくれたものとみなせばいい。
「必要なことを理解できた。だから、私の望みに従おう」とする。
――あなたは、よろこびを知る。
そこから、あなたが進むのを、あなたの「愛」は、送り出してくれるだろう。
「愛」は常に、あなたを『次の場所』へ、送ろうとする。
あなたが、ひとところに留まり、動けなくなると、手を差し伸べ、動かそうとしているのが「愛」と考えてみて欲しい。
つまり、あなたは『次のこと』を考えて動くことが必要なのであり、過去のことや現在への不満に留まるべきではないのである。
「愛」を見たいならば、あなたが「愛」を見なさい。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。