あなたにとって、理解できないすべてのことをもって生きている理由について、こう話せる。
「これから理解できること」とは、あなたが最も「知りたい」と感じて生まれてきたことであり、それを「知りたいと感じて生まれたのだ」と知っておく必要など、ないのである。
なぜなら、そうであるからこそ、そこに導くことが起こり、あなたが「理解したい」という欲求を感じることが、次々と現れるのだから。
あなたは、何を望んでいる?
「わからないこと」をわかりたいと考えてもがくのをやめ、少しなりともわかりそうなところ、つまり、あなたが「現在の何を、どのように変化させるのを望むのか」を明らかにして欲しい。
それを明らかにするのが難しいとしても、そこを「わからない」とは、判断しないようにして欲しい。
唯一、理解できる道を、断ってはならない。
まず、何を望むのかさえわからないのであるのなら、そこを見極めるのが先決とし、何をどうすることを望むのかということを、しっかり理解しようとすること。
あなたが考えることにおいて、「いつも考えていること」というのを見出して欲しい。
そこには、重要なヒントがある。
いつも悩んでいること・いつも困っていること・「これさえなければ」と思うこと。
そのことを考えてみると、あなたにとっての「嫌なこと」が何であるのかは、わかるはず。
しかし、あなたの「嫌なことをなくすのを望んでいるのだ」と考えるには、早計なところをもっている。
つまり、「望んでいること」は確かにその反対側に位置しているけれど、それを「なくそうとする」ことを目的とするのは、的外れということになる。
なぜなら、あなたができることとは必ず、「なくそうとする」ことでなく、あなたが「進もうとする」ということでしかないため。
あなたにとって、「嫌なことをなくそう」とすることの重要性をもっているのが大半である限り、それをなくして進むことは、難しい。
何をもってその「障害」について、不要なものとするのだろう。
あなたがどうしたいがために、その「障害」を乗り越えたいとするのだろう?
あなたの望みを明らかにするために、そのような自問を繰り返してみて欲しい。
そうはいっても難しいと思うのなら、それこそ、あなたが「考える機会」を与えられるがごとく存在する「障害」と考え、あなたの考えを整えるにふさわしい「教え」をもらっているのだと、とらえてみるべき。
「そうでなかったなら、あなたが気づくことのなかった答え」を生むにふさわしい出来事が、あなたには起こる。
それが、あなたにとっての「困ったこと」である。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。