あなたのことを理解する、ということを始めて欲しい。
「あなたを理解する」ということに、あなたは、興味があるのではないだろうか?
あなたについて、あなたが理解していることとは、何だろう。
あなたは、「自分」というものの、何を理解できると思って、そこにいる?
わかっていない、「自分」というもの。
あなたには、何が「自分」であるのかを、説明できないと思う。
何をもって、「自分」を確立できるのか、わかっていない「自分」というものを知って欲しい。
つまり、「自分」のことを理解するまでもなく、あなたがそこに生きているという事実。
その「わからない」という状況を、不思議と「わからない」まま、進むという事実。
いまも昔も、わからずにいた多くのことを、そこにもち続けるという事実。
あなたのことを理解するということが、そのように、「わからない」ところに始まり、そして「わからない」まま進んでいると判断できるはず。
そうしながら、あなたは常に「理解したい」とする欲求をもつ。
「本当の自分」「本来の姿」「行けるはずのどこか」「魂の求めるもの」そして、あなたがいつの日にか、「幸せになれる道」を求めて。
ところで、そのように「わからない」ことの多い「自分」が求めるものを、まるで探しものをするような感覚でいては、見つからない。
あなたが「自分」のことを理解しようと考えるとき、「本来の生きる道とは」といった、およそ見当のつかぬ視点をもって、思考をまわそうとはしていないだろうか?
そこに、あなたの誤解をもつ。
「自分」についての理解を求めるときには、あなたが探しものをするような感覚ではなく、あなたが決定しようとする感覚をもつことが必要になる。
あなたが、「自分」を「決定」する。
だから、探そうとも、見つからない。
そうと知れば、「どこにあるのか」と悩まない。
あなたは、それを、探さない。
そして、ここに、「決めようとする自分」を見つけようとするはずである。
あなたを理解するにあたり、あなたは「自分の内面」へと入り込む必要をもっていて、そうするためには孤独を求め、その理解をさらに深めるために、自分以外を求める必要をもっている。
「これぞ、私の求めているもの」という決定を望むのなら、あなた自身を成長させ、「探す」のではなく、「求める」ということをおこなうべき。
「求める」ということを極めるならば、あなたの探していたものが、「見つかった」ような感覚を得る。
これぞ、あなたの「求めているもの」と、自覚する。
だから、あなたが多くの理解と共に、「自分」の求めるものを、ずっと「求める」ということをするのがいい。
「あなたらしく生きる」ということを考えるにあたり、まずは、この知識を頭に置くことをすすめる。
さらに理解を深めるために、次項にも語ろう。