あなたは、自分のことを、愛していますか?
「自分を愛する」とは、いったいどのようにすることなのでしょう。
「自分を愛する」ということは、自分のわがままを通すということでも、自分勝手に行動する、ということでもありません。
「自分を愛する」ということは、あなたが、あなた自身で受けとれる「愛」を、あたりまえに「受けとる」ということです。
あなたへの、愛を受けとろう。
まず、あなたは「見守られ、愛される者」としてここに存在している、ということを前提にして考えてみましょう。
広く大きな空全体から、あなたに惜しみない愛がそそがれている光景を、思い浮かべてみてください。
あなたがその愛を「受けとる」ことを選択し、自分を痛めつけようとするのをやめる、ということが、「自分を愛する」ということです。
「自分自身への、愛を受けとる」という選択肢がいつもそこにあるにもかかわらず、私たちには「愛とは他から受けとるものである」と考えてしまうクセ があります。
しかし、「自分で、自分を愛する」ということが理解できれば、自分を「いじめよう」とする行為をおこなうのをやめるべきだと、常に気づくことができるはずです。
あなたがネガティブな考えを続けようとすることや、望みの方向に向かおうとせずに我慢しようとすることは、あなたが最も愛するべき自分を「いじめよう」とする、不可解な行為なのです。
「自分を愛したいけれど、愛せないところがある」と感じるとき、あなたは自分の「心」や「身体」といった部分的な視点で自分自身を眺めており、「無償の愛」という広い視点を忘れています。
あなたが愛するべきは、あなたという「存在」であり、あなたの心や身体を超えた「魂」そのものである、というふうに考えてみることにしましょう。
「自分はなぜ、こんなに困っているのだろう」・・・という、疑問をもっていませんか?
本書を読めば、あなたにも、その答えが見えてくるはずです。
あなたの望みを叶える方向へ、歩くことにしましょう。
過保護になってもかまわないので、自分を愛し、自分にOKを出してあげるのです。
自分のことをそんなふうに愛してあげられないのだとしたら、いったい誰があなたのことを愛してくれるのでしょう。
あなたさえ愛していないあなたのことを、誰かに愛してもらおうとしてもがいているのだとすれば、順番が違うと思いませんか?
「自分を愛する」という意味を理解できずにいるとき、あなたが自分に与えようと考えるのは、「心の寄りどころ」や「保身の策」といった代物となるため、満たされることができません。
そのようなときには、自分を客観的に眺めるということができなくなってしまいますが、そこに「愛が足りない」ということには、必ず気づくことができるはずです。
あなたが自分のことを愛していないときには、「自分は愛されていない」と感じています。
あなたが自分のことを理解できていないときには、「自分は理解されていない」と感じています。
そう感じるときには、自分のことをもっと理解しようとし、ねぎらうことをおこない、救い上げる方法を考えてみてください。
あなたがおこなうべきことは、理解できないようなことを分析したり、イメージしたりすることではなく、「自分を大切にする」ということなのです。
次項で詳しく説明していきましょう。