あなたが「辛い(つらい)」と感じたときには、そのように感じている自分の心を素直に受けとめ、そして、「つらくなくなる方法」を探し始めることにしましょう。
「つらくなくなる方法」が、すぐには理解できなくても、必ず理解できるようになることを信じてください。
あなたが「つらくなくなる方法」を理解できるようになるまでの間に、どのように過ごすのかということが、あなたの考えるべき部分です。
無駄な「思考」に、苦しまない。
あなたが大きく道をはずれ、自分らしさを失っているときには、非情な災難のごとく降りかかる「つらさ」を味わうことがあるかもしれません。
しかし、それは単に、あなたの大きな願望のあらわれであると、受けとめるだけでいいのです。
「つらくなくなる方法」を見つけるまでの間、「自分はつらいままで過ごす必要がある」などと考える必要はありません。
「つらい」のは、あなたが何も変えることができないまま、考えているからです。
ならば「いまできること」をおこない、「できないこと」を忘れてみましょう。
(「いまできること」を始める 参照)
あなたができることをおこなえば、あなたの足元に道が延びるかもしれません。
それはあなたが目指すべきところに導いてくれる道であり、あなたが「不愉快の螺旋階段」を昇っている間には、見つけられない道であるはずです。
(「不愉快の螺旋階段」を抜ける 参照)
物事を常に開けた心でとらえ、あなたにできることを探ってみましょう。
自分の道を探し始めようとすることにより、あなたは「つらい」と感じることが、だんだん少なくなっていることに気づいていくでしょう。
それは、「つらい」ことが減ったのではありません。
「つらい」ところを眺めていた自分が、「つらくないところ」に意識を向けることができるようになるまでの時間が短くなるのです。
あなたが「つらい」と感じることについて、「つらくなくなる方法」を見つけていくのは、それほど簡単なことではないかもしれません。
しかし、それ自体を「大したことではない」と考え、例えばワクワクとした冒険心にすり替えようとすることは、あなたにとっていつでも可能なことでしょう。
「その方法を見つけ出すまでは幸せになれない」とか、「自分にどうしてこのような災難が降りかかったのだろう」と考えているのは、無駄な時間です。
私たちはそのように、良い方法が見つかるまでの間に、無駄な「思考」に苦しむ傾向が強いのだということを、ただ理解していてください。
「つらくなくなる方法」を理解できないときには、「その方法をいまの自分はわかっていないようだ」と、ただ自覚するべきなのです。
次項で詳しく説明していきましょう。