あなたの人生はあなただけのものであり、あなた以外の誰も、あなたが幸せになるように導くことはできません。
もしも誰かに、あなたの行動を指示され、何かを要求されたなら、
その人はあなたを「いい気分」にさせたいのではなく、その人自身が「いい気分」になりたくてもがいているのだと理解してください。
その挑発には、乗らなくていい。
あなたをコントロールすることによって、自分が優位に立ちたいと考えている人はあなたに、こんなふうに話すかもしれません。
「あなたのためを思ってこう言うのだ」と。
「あなたにとってそれが最も正しいことだ」と。
ところが、あなたがその言葉を受け入れて行動するとき、あなたは、自分のためでなく他の人のための行動を選択したことになります。
あなたはやがて、どんなに努力をしても、そうすることではお互いを満足させることができないということに気づくはずです。
あなたが何を「思考」し、どんな「感情」をもち、どんな経験を選択するかということについての責任は、あなただけにあるからです。
たとえそれがどんなに親しい人からの言葉であっても、人の意見や選択を受け入れるだけでは、何も解決しません。
もしもそんなふうに無責任なことを言うような人がいたら、あなたは怒りを感じたり、不自由を感じたりしてしまうかもしれません。
しかし、他の人がどのような言葉をあなたにかけようとも、それを聞いてどうするのかを決めることは、あなた自身にしかできないことです。
あなたが「気分」を害しているのが「他人」や「状況」のせいに見えたのだとしても、その挑発に乗るかどうかを選択するのは、必ずあなた自身 です。
あなたがそうであるように、他の人についてもまったく同じことが言えるのです。
あなた以外の人の人生は、その人だけのものであり、どんなに親しい間柄であっても、その事実は変わりません。
その人が何を「思考」し、どんな「感情」をもち、どんな経験を選択するかということについての責任は、その人だけにあるのです。
たとえ、あなたがどのような言葉をその人にかけようとも、どうするのかを決めることは、その人自身にしかできません。
つまり、その人があなたに何かをとやかく言ったとしても、それはその人の勝手であり、あなたがその人にとやかく言う権利はないということです。
誰かの意見を聞き入れたくないがために、誰かと対立する必要は、まったくありません。
あなたも、あなた以外の人も、そもそも自由なのですから。
こうして理論正しく説明すれば、誰もが理解できるはずのことが、私たちにはしばしば難しく感じられます。
私たちの「思考」は、すぐに他の人の言葉や態度にネガティブな反応を繰り返してしまいますし、自分以外の領域に踏み込んでは、他の人の行動を操作したがるという悪いクセもあります。
しかし、まずは、自分以外の人の選択となる領域には、自分は何ら関わる権利がないのだということをしっかりと理解し、同じように他の人の勝手な判断における自分に対する意見についても、特に耳を貸す必要はないということをきちんと理解しましょう。
あなたがすべての人に自由を認めるとき、あなたは自分自身にもはじめて自由を認めることになります。
頭の中で、「あなた以外の人」のことを裁くのはやめにしましょう。
他の人が選択するべきことについては一切の関わりを断ち、あなたがコントロールしようとする気持ちを捨てましょう。
今日このときから、あなた自身を含むすべての人に、自由を認めましょう。
大切なのは、他の人がどんな状態であっても悪い影響を受けることなく、自分は「いい気分」でありたいのだという心がまえを意識してもっていることです。
そして、どんなに親しい間柄であっても、人の行動や「思考」の選択は絶対的にその人の自由であり、あなたが変更を加えることは1ミリたりともできないということを理解しましょう。
あなたを含め、誰もが自分の領域を守りたいと感じており、自分の選択を大切にしたいと本当に願っているのです。
もしもあなたが誰かに肯定的な影響を与えたいのだとすれば、相手がよろこぶようなアドバイスや情報を提供してあげられる立場や状況でなければなりません。
あなたがネガティブな「思考」をしているときには、誰かの役に立ち、解決策を差し出すことなどできないと思いませんか?
このことを理解できれば、あなたは、苦手な人の言葉や態度に対しても、ネガティブに反応する必要はないということに気づくことができるでしょう。
彼らは、あなたに肯定的な影響を与えられる立場にはありません。
単に、彼らは彼らの「思考」にまかせて発言しているのであり、あなたに助言できるような状況ではないのです。
ですから、他の人があなたにとってどんなに嫌な言葉を発しても、どんな行動をとったとしても、それは彼らの自由であり、あなたとは何の関わりもないことだと考え直してみましょう。
あなたがそんなふうに思えないときには、彼らに原因があるのではありません。
誰かを見て、「いい気分になれない」と感じる理由は、その人の言動が酷いからでもおかしいからでもなく、あなたがその人の中に「自分自身の嫌な部分」を見ているからなのです。
次項で詳しく説明していきましょう。