バイロン・ケイティのワーク 「苦しみの終わり」

下記は、バイロン・ケイティのワークとして配布されていた文章を掲載させていただいたものです。

ケイティと「ワーク」について

1986年、バイロン・キャサリーン・リード(「ケイティ」の本名)の人生は、どん詰まりにきていました。10年というもの、パラノイア、激怒、落ち込みがどんどんとひどくなり、何週間も寝込むこともまれではなく、家を出るのも怖くて、歯を磨くことすらできなくなっていたのです。そんなある朝、突然、ケイティは目覚め、現実に対するまったく異なる視点を持つことになりました。そこには、自分が誰であり、何者なのかという概念はまったくありませんでした。

「私はいなかった。あたかも、誰か別の人が目覚めたかのようだった。それが目を開けケイティの目を通して見ている。すべてが理解不能だった。けれども、それはとてつもない喜びだった!それは、喜びに酔い痴れていた。分離というものは存在せず、受け入れることのできないものは何もなかった。」

ケイティのなかで目覚めたものは、言葉を使わない問い直しのプロセスで、それがあらゆる苦しみを解き放ちました。その日から、その自由がなくなることは決してありませんでした。どうしたら同じ状態になれるのかと人に聞かれたとき、ケイティは自分を理解するための独特で革新的なプロセスである「ワーク」を提供したのです。

「ワーク」は人間の苦しみを終わらせるために作られた、非常にパワフルな方法です。とはいえ、それは、子どもでもできるほど、シンプルなものでもあります。また、他のどんな組織、セラピー、宗教とも関係なく、安らぎを求めるあらゆる実践の助けになるものです。「ワーク」は世界中で、NPOである「ザ・ワーク・オブ・バイロン・ケイティ・ファウンデーション」で提供されています。

バイロン・ケイティのワークにようこそ。

 

スポンサーリンク

序文

1986年に私は、現実と言い争う思考を信じるときにのみ、人は苦しむということを理解しました。
現実がそうであるのに、そうであってほしくないと思っても、無駄なことです。
それは、猫に「ワン」とほえろと教えるようなもので、死ぬまでがんばってみても、やはり猫は、あなたを見上げて、「にゃ~」となくだけでしょう。

これは一見、当然のことのように見えます。けれどももしもよく見てみるならば、こういったたぐいの思考が一日のうちに山ほど現れることに気づくでしょう。「人はもっと優しくあるべきだ」「こどもは行儀よくあるべき」「隣の人はもっとちゃんと庭の手入れをすべきだ」「あの人は私を捨てるべきじゃなかったのに」「もっとやせなくては(あるいは、もっと魅力的にならなくては、もっと成功しなくては)」こういった思考は、今のままの現実に対し、そうであってほしくないと期待する声です。こうして、あらゆるストレス、欲求不満、落ち込みが生まれます。

「ワーク」になじみのない人は、よく私にこう言います。「でも、現実に抗議することをやめたら、私は力をなくしてしまうでしょう。ただ受け入れてしまったら、消極的な人生になってしまう」―それに対し、私は答えます。「ほんとうにそうだと、あなたに分かりますか」いったい、どちらの方があなたに力を与えるでしょうか。「あの人は私を捨てるべきじゃなかったのに」か、「あの人は行ってしまった。さて、私はどうしようか」か。
現実をありのままに見ることで、知性的な選択をすることが可能になります。抗議することは、あなたを制限します。

「ワーク」は、起こるべきではなかったのに、とあなたが考えていることは、起こるべきだったということを明らかにします。それは起こるべきだったのです。というのも、それは起こったのですから。そして、この世のどんな思考もそれを変えることはできません。だからといって、それを大目に見るとか、認めるということではないのです。消極的になるのではありません。それはただ、物事を抵抗なしに、内面の葛藤というストレスなしに見るということなのです。だれも自分の子どもに病気になってほしくはありません。だれも自分のパートナーに去ってもらいたくはありません。けれども、そういったことが起きたとき、マインドのなかでそれに抗議することが何の助けになるでしょうか。私たちは無邪気にそうしていますが、それはそれ以外のやり方を知らないからです。

「ワーク」は現実とのあいだのつらい戦いをやめ、物事をクリアに見る方法を提供します。特定の、鋭い質問を用い、私たちの思考を調べ、自分の混乱に気づきます。これは自己認識です。マインドが自分に出会い、自分を紙の上にとどめ、それを問い直すことで、「あるがまま」に抗議をすることがもたらす因果関係を理解します。
もしもこのことがピンと来ないとしても、心配はいりません。先に進むにつれ、もっとはっきりしていくでしょう。それでは、「ワーク」の最初のステップを始めましょう。

まわりの人をジャッジし
書きとめ
4つの質問をし
ひっくり返す―bk

 

まわりの人をジャッジする

何千年ものあいだ、ジャッジをするべきではないと教えられてきましたが、私たちはいまだに絶えずそうしています。友達はこうふるまうべきだ、子どもは気配りをもたなくちゃいけない、両親はこう感じたり、こうしたり、こう言ったりするべきだ、というように。「ワーク」では、こうしたジャッジを抑圧する代わりに、それを自分を理解するための出発点として使います。ジャッジするマインドに紙の上で生命を吹き込み、まわりの人たちという鏡を通して、自分でまだ理解していない自分自身を発見していくのです。

「ワーク」を体験するために、過去でも現在でも、自分の人生のなかで、解決していないと感じている状況を選んでください。怒りを感じているとか、すっかり許していないという――そして、次にある「まわりの人をジャッジする」ワークシートの文章を完成させましょう。まだ自分のことは書かないように。こんなことを書いていいのかしらと思わず、厳格になってください。優しい「スピリチュアル」な人であろうとしないように。簡潔で、短い文を使い、プロセスを信頼してください。あなたのマインドに、表現の機会を与えてあげてください。あなた以外、これを読む人はいません。

(1)あなたはだれのせいで怒ったり、がっかりしたりしているのでしょう。
そしてそれは、なぜですか。あなたが気に入らないのは何なのでしょうか。
例)私は、ポールのせいで怒っている。なぜなら彼は私を理解しないから。
私を怒鳴りつけ、嫌な気分にさせるから。

私は______のせいで怒っている(いらいらしている、がっかりしている)。
なぜなら、_____________________________________________________________________________________________________だから。

(2)その人にどう変わってほしいのですか。その人に何をしてほしいのでしょう。

私は______に
_____________________________________________________________________________________________________してほしい。

(3)その人は何をすべきか、どうあるべきでしょうか、どう考え、どう感じるべきなのでしょう。あるいは、どうあるべきでないのでしょうか。あなたのアドバイスはどんなものでしょうか。

______は、___________________________________________________________________________________________べきだ。あるいは、べきではない。

(4)あなたはその人から何かを必要としていますか。
あなたが幸せでいるために、その人は何をする必要があるのでしょうか。

私は_____に、____________________________________________________________________________________________してもらうことが必要だ。

(5)あなたはその人のことをどう思っていますか。リストを作ってください。

_____は、_______________________________________________________________________________________________である。

(6)その人とのあいだで、あなたが2度と体験したくないことは何でしょうか。

私は__________________________________________________________________________________________________はもう嫌だ。体験したくない。

あなたが、正しくあること(そしてそれにともなうストレスと)か、自由であることを選ぶとしたら、どちらを取りますか。

そしてあなたは、何が自分のストレスや痛みの原因になっているのか、本当に真実を知りたいですか。

 

4つの質問

それでは、ワークシートにあなたが書いた文章を、下の4つの質問を使って、調べ直してみることにしましょう。

1)それは本当ですか。
2)それが絶対に本当だと、あなたに分かるでしょうか。
3)その思考について考えるとき、あなたはどう反応するでしょう。
4)その思いがなければ、あなたは誰でしょうか。

どのようにするかについての例は、次にあります。
自分にこうした質問を向けるとき、もう自分には答えが分かっていると思うことでしょう。(特に1番の質問は):「もちろん、本当だ」あるいは、「いや、それは本当じゃない」というように。
「ワーク」を体験するための鍵は、知的な部分からやってくる即答を超えて、より深い知恵に身を浸すということです。問いかけてから、じっとして、ハートの声が応えるのを待ってください。より深い答えが現れるのにまかせましょう。腰をすえて見ることで、自分自身の体験に信頼をもつことができるでしょう。あなたは、自分にとっての真実は何なのか、外の世界の答えではなく、自分の答えを頼りにすることを学んでいるのです。

例:ポールは私を理解すべきだ。

質問1)それは本当ですか。

ポールがあなたを理解すべきだというのは本当でしょうか。現実はどうでしょうか。静かにして。答えを待ってください。もしもあなたが本当だと感じるなら、質問2に移ってください。もしも本当ではないと感じるなら、3番に移ってください。

質問2)それが絶対に本当だと、あなたに分かるのでしょうか。

この質問は、あなたが内側に入って、それが本当にそうだということが、いったいあなたに分かるものか、もう一度問い直すための機会です。ポールがあなたを理解すべきかどうか、あなたにいったい分かるものでしょうか。この瞬間、彼が何を理解するのがベストなのか、彼の道において、どんな理解を彼が持つべきなのか、あなたに分かるのでしょうか。いったい他の人が何を理解すべきなのかを決めるのは、あなたなのでしょうか。そして、現実はどうなのでしょう。彼はあなたを理解していますか。世間はよってたかって「彼はあなたを理解すべきだ、夫は妻を理解すべきだ」と言うかもしれませんが。今は、あなたにとっての真実はどうなのか、自分の体験を調べ直し、見出してください。
私は1986年に、真実は、世間で言われている理想やおとぎ話ではないということが分かりました。真実とは、現実において起こっていることです。「ポールは私を理解すべきだ」それは本当ですか。私の体験では、ノーです。ポールは私を理解すべきではないというほうが、より真実に近いでしょう。それがときには、現実なのです。

「ワーク」になじみのない人はよく、私の「べき」ということばの使い方に戸惑います。「オーケー、ケイティ。現実には彼はあなたを理解していないってことね。でも彼はそうすべきでしょ?つまり、あなたはそうするように彼に働きかける必要があるってこと」というわけです。私は何年もそうしようとがんばって、そのあげくに得たのが、落ち込みと怒りでした。彼に理解してもらいたいと思った唯一の理由は、そうなれば私が幸せになれるだろうと思ったからです。けれども、彼は私を理解すべきだという言葉を信じるのをやめたとき、私は幸せになりました!世界と戦うことによって、自分に安らぎをもたらすことができるだろうという気違いじみた思い込みを捨てたのです。起こるべきことは、当然ながら、現に起こっていることであり、本当に今起こっていることなのです。それ以外のことは、たんなる空想、ストーリーであるにすぎません。

そう私が言ったからといって、それを信じないでください。もしも2番目の質問の答えが「イエス」であってもいいのです。間違った答えはありません。問い直しのプロセスを続けてください。次の質問で、思考のあとにやってくる感情を見直していきます。

質問3)その思考について考えるとき、あなたはどう反応するでしょうか。

「ポールは私を理解すべきだ」と考え、彼がそうしないとき、何が起こりますか。リストを作ってください。彼をどう扱うでしょう。肉体はどんな感じですか。そう考えるとき、どんな影響があるのかに、よく気づいてください。そして、自分にきいてみてください。「その考えは、私の人生にストレスをもたらすだろうか、安らぎをもたらすだろうか」

質問4)その思考がなければ、あなたは誰でしょう。

目を閉じて。あなたが変えたいと思っているその人が目の前にいるところを思い描いてみましょう。そしてほんの一瞬でも、その思いなしに、その人を見つめているところをイメージしてください。何が見えますか。そして、あなたを理解すべきだというストーリーとともにあなたが行為するとき、相手をどう扱うでしょうか。この考えがなければ、あなたの人生はどんなでしょうか。

ここでのゴールは、自分の反応の仕方を変えようとしたり、人生を違った目で見ようとすることではありません。これは、あなたが内側に入って、あなたの考えと、それがもたらす結果をシンプルに問い直し、見直す機会なのです。あなたがこの関係をクリアに見ると、その結果、人生は自動的に変わります。そうならざるを得ません。というのも、いったん精神的な苦しみが世界そのもののせいではなく、世界に対する自分の考えのせいだということが分かれば、問題は自分を理解するための機会となり、生はギフトとなるからです。

 

ひっくり返す

4つの質問で自分が書いた文章を見直すと、それをひっくり返す準備ができました。
ひっくり返しは、あなたが真実だと思っていることの反対を体験するための機会です。例えば、私はポールに対して怒っている。なぜなら彼は私を理解しないから」は、ひっくり返すと、「私は私に対して怒っている。なぜなら私を理解しないから」となります。これも同じぐらい真実か、あるいはより真実に近いでしょうか。私が私を理解しないので、同じことに関して、ポールにくり返し頭に来るということもあるでしょうか。もしも私が私を理解しないなら、ポールが私を理解しないかどうかが、私に分かるでしょうか。
もうひとつのひっくり返し方は、「私は私に怒っている、なぜなら私はポールを理解しないから」分かりますか。

ひっくり返しでは、クリエイティブになってください。これらは啓示であり、他者があなた自身に見えていない自分の一部を見せてくれるものなのです。2つか3つ以上のひっくり返し方が見つかることもありますが、そのどれもあなたが書いたものと同じぐらい、あるいはそれ以上に真実でしょう。内側に入り、そのひとつひとつをじっくり見てください。あなたにとって、どれが真実でしょうか。自分に感じさせてあげてください。

私がこのひっくり返しとともに生き始めたとき、「あなた」と呼んでいたものはすべて、自分だということに気づきました。あなたは私の思考が現実として投影されたものに過ぎなかったのです。今は、まわりの世界を変えようとする代わりに(これはうまくいきませんでした。43年間、ずっと)、思考を紙に書き取り、それを見直し、ひっくり返し、あなただと思っていた当のものが自分だということを見つけます。あなたは優しくないと私が思う瞬間、私は優しくないのです。もしもあなたは戦いをやめるべきだと私が信じているなら、私は自分のマインドのなかで、あなたに戦いをしかけてはいないでしょうか。もしそうならば、私は戦争を教えているのです。

あなたがもっと「ワーク」になじんでくると、ひっくり返しをする機会にどんどん気づいていくでしょう。たとえば、あなたがある人に会い、傲慢な人だなあと思ったとしましょう。そしたら、自分にたずねてみてください。「私も同じぐらいそうだろうか。ときには私もそうだろうか。他の人がどうすべきだとか、どうすべきでないと考えるとき、私は傲慢だ、と言えるだろうか」
このひっくり返しは、あなたの幸せへの処方です。あなたが他の人に処方してきた薬を自分で取ってみてください。私たちは、たった一人の生きた教師を待っています―それはあなたなのです。

 

ひっくり返しの例

ここには、ひっくり返すことで、どのような理解がもたらされるか、いくつかの例があります。

「彼は私を理解すべきだ」は、ひっくり返すと
・彼は私を理解すべきではない。(ときには、これが現実です。)
・私は彼を理解すべきだ。
・私は私を理解すべきだ。

「私は彼に優しくしてもらう必要がある」は、ひっくり返すと、
・私は彼に優しくしてもらう必要はない。
・私は彼に優しくする必要がある。(そうできますか。)
・私は私に優しくする必要がある。

「彼は私に愛情がない」は、ひっくり返すと、
・彼は私に愛情がある(彼のできる最大限で)。
・私は彼に愛情がない。(分かりますか。)
・私は私に愛情がない。(ジャッジをして、それを問い直さないとき)

「ポールは私に怒鳴るべきでない」は、ひっくり返すと、
・ポールは私に怒鳴るべきだ。(明らかにそうだ。彼は実際そうなのだから。)
・私はポールに怒鳴るべきでない。
・私は私に怒鳴るべきでない。(頭のなかで、ポールが怒鳴っているのをくり返しくり返し反芻しているのでは?)

 

6番目

ワークシートの5番目まで文章を調べ直し、ひっくり返したあとで、6番目に書いたことを、次のようにひっくり返します。「私は喜んで…しようと思う」「私は…を楽しみにしている」
例えば、「私はもう決してポールとケンカをしたくはない」というのを、「私は喜んでポールとまたケンカしようと思う」と「私はまたポールとケンカするのを楽しみにしている」とひっくり返します。

どうして楽しみにするのでしょうか。6番目はあらゆるマインド、それゆえにあらゆる生の側面を、恐れることなくすべて抱きしめ、現実に開いていくものです。もしあなたが頭のなかだけででも、もう一度ポールとケンカを始めたら、いい機会です。それがもし痛みに満ちているなら、それを紙に書きとめ、調べ直してみてください。不快なフィーリングは、自分にとって真実ではないある思考にしがみついている、ということを思い出させてくれるでしょう。それは、「ワーク」のときだと、知らせてくれるのです。

あなたが、敵を友人とみなせるまで、あなたの「ワーク」は終わりません。こういったからといって、その人たちを夕食に招待する必要はないのです。愛は内面の体験です。あなたは決して彼らに会うことはないかもしれませんが、あなたが彼らのことを思うとき、ストレスを感じるでしょうか、それとも安らぎですか。
私の体験では、すばらしい人間関係をもつのに、一人の人しか必要としません。私は自分の結婚生活は完璧だと言いたいですが、夫にとって、それがどんなものなのか、私には本当には分からないのです。(彼も私に幸せだと言ってはくれますが)

現実と争うとき、あなたは負ける、それも必ず―bk

 

補助的な質問

「ワーク」のための「スクール」では、問い直しにおいてとても役に立つ、補助的な質問をいくつか使っていきます。こうした質問を使っても、あるいは4つの質問だけに限っても、どちらにしても、あなたにとってうまくいく方法でやってみてください。

1.それは本当ですか。
現実はどうでしょう。
あなたの証拠は何ですか。

2.それが絶対に本当だと、あなたに分かるのでしょうか。
その人の道において、何がベストか、あなたに分かりますか。
神よりも、あなたの方がよくものが分かっているのでしょうか。

3.その思考について考えるとき、あなたはどう反応するでしょう。
あなたのなかで、どんな感じがありますか。
相手を、どう扱いますか。
自分を、どう扱いますか。
何を言ったり、したりするでしょう。
その思考は、あなたの人生にストレスをもたらしますか、安らぎですか。
その思考にこだわることで、ストレスが減りますか。

4.その思考がなければ、あなたは誰でしょう。
2度とその思考を考えることがなければ、あなたの人生はどう見えるでしょう。

これらの質問のあとで、元の文章をひっくり返しましょう。それは同じぐらい真実か、あるいはより真実ですか。それ以外のひっくり返し方もあるでしょうか。

 

3つの物事

全世界には、3つの物事しかないということを私は見つけました。私の物事、あなたの物事、神(あるいは、高次のパワーと言い換えてもけっこうです。私にとっては、現実が神です。なぜなら、それが統治しているのですから)の物事。もし、あなたが自分の人生を生きていて、私がマインドのなかであなたの人生を生きているならば、誰がここで私の人生を生きることになるのでしょうか。もちろん、私は孤独でしょう。マインドのなかで、人の物事に首を突っ込むことで、私は自分を留守にしてしまいます。

他の人の最善の道が自分には分かるというのは、傲慢というものです。長い目で見て、あなたの人生において何がベストか、あなた以上に本当に私に分かるのでしょうか。この傲慢が、緊張や心配や寂しさをもたらします。次の機会に孤独や分離感を感じたならば、自分にきいてみてください。「私は誰の物事に首を突っ込んでいるのか」と。

 

原因と結果

あなたが恐怖(あるいは怒りや落ち込みやストレスなど)を体験するとき、その感情の背後には必ず思考があります。思考が原因で、感情は結果です。今まで私たちは、(関係性やセックス、食べ物、お酒、ドラッグを使って)一時しのぎの快楽や幻のパワーで、その結果を変えようとしてきました。それは、うまくいったでしょうか。

問い直しをしないとき、もともとの思考は隠れた原因として残り、さらにそれにまつわる概念を培養していきます。そうなると、マインドはおのずから、それが正しいということを証明する証拠を集めていきます。「ポールは私を愛していない。彼は私の話をけっしてきいてくれない。いつも私に怒鳴るばかりだ…」そこで感じる感情を紛らわそうとすることもできれば、その原因を調べ直すことも可能です。
不快な感情が出てきたとき、私はその背後にある思考を調べ、それを書きとめ、4つの質問をします。感情を変えようとはしません。「ワーク」をし、そして、感情が変わり、人生全体が変わることに気づくのです。これが真実のもつパワーです。

不快な感情を楽しみにすることを勧めたいと思います。それは、あなたが、問い直していないある信じ込みにしがみついていて、「ワーク」をするときだ、と教えてくれる、目覚まし時計のアラームのようなものです。問い直しを通して、明晰さを手に入れてください。理解を持って、不快な感情と出会ってください。どうして外の誰かが満足と調和をもたらしてくれることを待っているのですか。安らぎはいつも、あなたの内側、4つの質問のすぐ先にあるのです。

 

パートナーとの「ワーク」

これは、解決と許しを求める2人あるいはそれ以上の人たちのあいだですることのできるパワフルなエクササイズです。鍵となるのは、人とワークするとき、「ワーク」は自分のためのものであって、人のためではないということをクリアにしておくことです。それぞれの人は、内側に入り、自分自身の真実を見つけていくためにともにいるのであって、相手に勝とうとか、自分の正当性を主張するためではないのです。私たちは、ずっと人を説得しようとしてきました。「ワーク」は、自分を理解するためのものです。

まず最初に、相手に対する正直で率直で厳しいジャッジでワークシートをうめていきます。パートナーAがまず自分のワークシートの文章をBに向かって読んでいきます。「ポール、私はあなたに対して怒っています。なぜならあなたは私を愛していないと感じるから」というように。そして、それぞれの文が終わるごとに、AはBとアイコンタクトをするようにします。Bはそれをきき、Aが正しいと感じられるところが少しでもあるかどうか、みてみます。そしてそれがあろうがなかろうが、「ありがとう」という言葉を返してください。

パートナーAが自分のワークシートの文をすべて読み終わったら、Bは4つの質問を使って相手に働きかけていきます。そのあとで、もう一度文章を最初から、今度はひっくり返して読んでいきます。その場合もBとアイコンタクトをしていきますが、今度は自分が自分に言っている真実を確かめながらそうしてください。

その後、役割を交代し、同じことをしていきます。
このエクササイズを、パートナーを変える機会として使いたくなるかもしれません。そういった動機は、相手を操作することになり、さらなる欲求不満と誤解をもたらすだけです。「ワーク」は自分が正しくありたいと思う人たちのものではありません。それは、自由になりたい人たちのものなのです。
どちらの役割を演じるときにも、自分自身の自由のためにするようにしてください。もしもこのシンプルな手順にしたがって、真実への愛をもってこのエクササイズをするならば、それはあなたに自己愛をもたらし、それゆえ、相手に対してより深い愛をもたらすことになるでしょう。

 

質疑応答

質問)人のことについて書くのは大変でした。自分のことを書いてもいいですか

答え)自分のことを知りたければ、人のことを書くことを勧めます。最初は「ワーク」を外向きにしてみてください。すると、外側のものはすべて、あなたの思考を直接映し出したものだということが分かってくるでしょう。それは、すべてあなたのことなのです。私たちはほとんどみんな、何年ものあいだ、批判やジャッジを自分に向け続け、そのあげく、何も解決しないでいます。他の人をジャッジして、問い直し、ひっくり返す、というのが自分を理解するいちばんの近道です。

質問)書きとめる必要がありますか?頭のなかで質問をし、ひっくり返すことはできませんか。

答え)マインドの仕事は、正しくあるということで、それは、光のスピードよりも早く自分を正当化することができます。恐怖や怒り、悲しみ、恨みのもとにある思考を書きとめることは、それをピンで留めることです。そうなると、調べ直すことはずっと楽になります。最後には、書きとめなくても「ワーク」は自動的にあなたをほどきはじめるでしょう。

質問)人とのあいだに問題がないとしたらどうでしょう。体についてとか、事柄について書くことはできますか。

答え)できます。ストレスを与えるどんな事柄についても「ワーク」をしてください。4つの質問とひっくり返しになじんでいくにつれ、体や病気、仕事、神といった事柄さえも選ぶことができるでしょう。その場合、ひっくり返すときには、「私の思考は…」という主語で始めてみてください。

例)「私の体は強く、健康であるべきだ」は、「私の思考は強く、健康であるべきだ」
バランスの取れた、健康なマインド―これが、あなたが本当に望んでいることではないでしょうか。病んだ体が問題なのでしょうか、それとも、体についての思考が問題の原因になっているのでしょうか。よく見てください。体は医者に面倒を見てもらい、あなたは思考の面倒を見てください。私には、友人で、からだが動かない人がいますが、彼は生を愛しています。自由には健康な体はいりません。マインドを自由にしてください。

質問)あなたは現実を愛する人だということですが、世界中で起こっている戦争やレイプといった、あらゆるおぞましいことはどうなんでしょう。そういったものを、あなたは非難しますか。

答え)まったく逆です。それがあるのに、あるべきでないと信じるとしたら、私は苦しみます。戦争を、私の中だけで終わらせられるでしょうか。私の暴力的な思考と行動で、自分や他人がレイプされることをやめさせられるでしょうか。そうでなければ、私は自分を通して、私が世界中で終わらせたいと思っている当のものを続けることになります。私は自分の苦しみ、自分自身の戦争を終わらせることから始めます。これは一生の仕事です。

質問)ということは、私はただ現実をあるがままに受け入れて、それと言い争うべきでないと言うんですね。そうですか。

答え)「ワーク」は誰がどうすべきだ、すべきでないとは言いません。ただ、問い直すだけです。現実と言い争うことで、どんな結果が得られるでしょう。それはどう感じられますか。このワークでは、つらい思考にしがみつくことからくる因果関係を探り、問い直しによって、自分の自由を見つけていきます。つまるところ、現実と言い争うべきではないということは、また別のストーリー、別の哲学や宗教を加えるだけです。それはうまくいったためしがありません。

質問)私は神を信じていません。それでも「ワーク」から恩恵を受け取れるでしょうか。

答え)はい。無神論者であろうと、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、仏教徒、誰であろうと、幸せと安らぎを求めているということに関しては、同じです。もしも苦しむのにうんざりしていたら、「ワーク」をお勧めします。

質問)問い直しは、考えるプロセスなのでしょうか。いったいそれは何ですか。

答え)問い直しは、考えるプロセスのように見えますが、実際は、考えることを無効にする方法です。思考はただマインドに現れるものに過ぎないと分かると、それは私たちに対するパワーを失います。思考は、個人的なものではありません。「ワーク」では、私たちの思考から逃げようとしたり、抑圧する代わりに、腕を広げてそれらと出会っていきます。

質問)もしも知り合いが自分を傷つけていると分かっていても、それは私のことではないというのですね。それは、すごく無責任なんじゃないですか。

答え)それはそうも見えるでしょうが、私の体験では、これはトータルな責任に関することです。私は自分を傷つけることに関して、とくに、私が他の人について考えることに関して、100%責任があります。「ワーク」のおかげで、私はクリアになり、以前よりもずっといい状態で、他の人を助けることができます。他の人に対して、その人は変わる必要があるというジャッジを持っている人と、自分が実際に変わって、愛と理解の目を持ってクリアに物事を見ることのできる人と、どちらが助けになるでしょうか。あなたが本当に自分を傷つけることをやめれば、人の方からどうやってそうしたのか、ききにくるでしょう。誰も人を傷つけたくはありませんし、誰も苦しみたくはないのです。

 

「ケイティ語録」

現実と争うとき、あなたは負ける―それはもう必ず。

人格は愛さない―それは何かを手に入れようとする。

私に祈りがあるとしたら、それはこうなるだろう:「愛されること、認められること、感謝されることを望まないでいられますように、アーメン」

自分の進化の程度を偽らないように。

私の苦しみの犯人は、私だ―それはもう、まったく例外なく。

直接の道は、こうだ―「神はすべてであり、いいものだ」

教師にたずねたいと思うことはなんでも、あなた自身にたずねてみること。もしあなたが本当に真実を知りたければ、答えはやってくる。

私を好きになるのはあなたの仕事ではない―それは私の仕事だ。

今まで起こった最悪のことは、調べ直しをしていない思考だ。

あらゆる戦争は、紙の上にある。「ワーク」をし、内側に安らぎを見つけなさい。そうすれば、世界はそれに従う。それは法則なのだ。

正気は決して苦しまない。

あなたが必要としている教師は、あなたが一緒に住んでいる人です。あなた、きいてますか。

私は自分の観念を手放しはしない。私はそれと出会い、問い直す、するとそれが私を手放す。

現実はつねに、それについてのストーリーよりも優しい。

究極的には、私は知ることのできるすべてだ。

混乱は、唯一の苦しみだ。

物事はあるがままにしてある。投票をすることはできない。それに気づきましたか。

全世界が私を愛しているということは、私にとって実にクリアだ。ただ、人々がそういう理解に達していると期待してはいない。

肉体的な問題は存在しない―マインドの問題があるだけだ。

死に対する恐怖は、愛に対する恐怖の最後の煙幕だ。

私が理解するまでは、あらゆる快楽は苦痛だ。そしてそのとき、私は探し求めていた快楽となる。私は私がずっと望んでいたものだ。

私にとって、現実が神だ。それが統治しているのだから。

 

バイロン・ケイティの著書はこちら

タイトルとURLをコピーしました