あなたが考え続けているあなたの「考え」は、あなたの「主観」であり、あなたは常に「主観的な判断」を繰り返しています。
「Aが、Bである」と考えるあなたの「主観的判断」は、現在のあなたの状況を間違いなくそのようにとらえており、あなたがそう信じていることは、常にあなたの「現実」として、そこに存在しています。
Aは、Bであるとは限らない。
あなたが「問題を解決するべき」と考えるときには、「Aが、Bであるがゆえに問題であるのだ。」というふうに、物事をとらえているはずです。
この理論に基づき、あなたが考えを進めていくならば、
「Aが、Bでなくなれば、問題はなくなる。」
「Aが、Cになるならば、問題は解決する。」
といった答えを求めていくことになるでしょう。
ところが、この理論に沿った努カはなかなか報われず、「どうすればBではなくなるのか」という否定的な心が常にあなたを支配し続け、「Bではなくならない」という事実に、あなたは苦しみ始めることになります。
「Aが、Bでさえなかったなら。」
「Aが、Cでさえあるならば。」
あなたの「思考」は同じところを回り続け、ついには抜け道のない迷路の中で、あなたは座り込んでしまうでしょう。
このようなことが、日常的に繰り返されがちであるのは、いったい何が間違っているからなのでしょう?
あなたの本来の望みとするところにたどり着くために必要なこととは、いったい何であるのでしょう?
ここで一つ言えることは、そもそも、元はといえば、あなたが「Aが、Bである」という、「主観的判断」を元に考え始めていることが、あなたの「現実」の発端となっているのだということです。
それが原因であるにも関わらず、あなたはまず、
「Aは、Bであるとは限らない。」あるいは、
「Aが、どうであるのかなど、本当にはわからない。」
というように、その「判断」を疑ってみようとはしていません。
あなたは、「Aが、Bである」ということの、それほどの確たる証拠を、どこで手に入れたのでしょう?
あなたが、間違いなく「Aが、Bである」がゆえに苦しむのだとすれば、いったい何を目的として、「Aが、Bでなくなる」ことを切望するというのでしょう。
あなたを苦しめているのは、恐らく、「Aが、Bである」という事実ではありません。
あなたが本当に「困る」と感じてしまうのは、「Aが、Bであるがゆえに、αができない。」ということではないのかと、考えてみてください。
そうであるならば、あなたに本当に必要な「思考」とは、「どうすればAがBではなくなるか」ということではなく、
「αを可能にするために、いま、何をするべきか」ということ。
これが、「発想の転換」をしようとする、ということです。
現在の「問題」は、私たちがこれまで当然と考えていた「主観的判断」を覆し、新たな発見を求めるべく「もう1つの真理」を見つけようとしたときに、解決の兆しを見せ始めます。
あなたがその「主観的判断」を覆す「思考」を、自らの「判断」として取り入れる意思をもつならば、あなたの「現実」は、比例して変化せざるを得なくなる と知ることが大切です。
理論はさらにレベルアップが可能なのですが、すでに、私が語れるはずの内容ではなくなってきておりますので、、、ここからは、私が話を聞くことのできるスピリチュアルな存在に、直接語っていただきたいと思います。
(管理人について 参照)
さらなるレベルアップを目指したい方は、こちら!
●宇宙一のそもそも論 ~あなたが生まれた世界のしくみ~