「思考」は放っておくと、いつもの習慣にならって物事を考え、判断しようとすることを繰り返します。
「思考」は、現実に起こっていることが、当初の理想に沿ったものであれば「うまくいっている」と判断し、少しでもあなたの予想に反したものであれば、「これではいけない」という判断をし始めます。
そのような「思考」の判断を、信じる必要はありません。
あなたの「思考」は、いつもの習慣にならって、働いているだけなのです。
「思考」の判断には、翻弄されない。
現実に起こっていることが気に入らないとき、「これではいけない」とみなした「思考」は、「どうにかしよう」とするための考えにのめり込み、さらなる不運への予測を立て始めます。
(「気分」が悪いときの頭の中 参照)
「思考」は、物事がうまくいかない「原因」を探り、心の平穏が得られないことを「証拠」とし、「これから先、どうなるのかわからない」という不安について、あなたに訴えかけてくるでしょう。
さて、このように訴えてくる「思考」に対して、あなたはこれまで、どのように対応していたでしょうか。
まずはそこで、あなたがそのような「思考」の判断に必ずしも従う必要はない、ということを念頭に置き、あなた自身で冷静な判断をおこなうことができていたかどうかを、確認してみてください。
そういうときに、あなたが「司令塔」であるという立場をしっかりと忘れずにいられるのなら、「思考」による習慣的判断に翻弄されることなく、「思考」を落ち着かせることができるはずです。
現実が、あなたの予想に反する展開を見せたという程度の理由で、「物事がうまくいっていない」と訴えてくる「思考」は、誤った判断をしています。
(「気分」が悪いなら「思考」を疑う 参照)
これから「どうなるのか」ということなど、あなたには最初からわからないことであり、あなたにとって何がベストであるのかなど、あなたの「思考」には判断できないはず なのです。
ですから、「思考」の判断に従って心配することをやめ、これから「どうなるのか」を見るようにし、対応をすることにしてください。
「どうあっても、現実を理想どおりに変えるべき」という「思考」を、いくら働かせようとしたところで、あなたには、その魔法をうまく使いこなすことはできません。
「どうなるのか」は、わからない。
しかし、あなたが望む方向に向かいたいならば、いま、最も新展開の可能性があると信じられることをおこなってみる方針で、「思考」に指示を出そうとすること。
(「思考」に対する方針を変える 参照)
「どうなるのか」はともかく、望みの方向へと進むことだけを考え、あなたにとっての「最良の結果」を信じてみることにしましょう。
現在や未来の悪条件について悩んだり、過ぎ去ったことを悔やんだりするのは、「最後まで信じてみる」ということを、おこなっていないからです。
途中で「信じる」ということをやめてしまったら、あなたはそこで、道に迷うことになるでしょう。
ですから、最後にどうなるか、見てみましょう。
あなたがつけたい決着の行方がどうなるのか、最後まで見ていきましょう。
あなたが、何も「信じる」ことができていないときに、見えたり聞こえたり、考えついたりすることが、正しいのだと判断するのはやめておきましょう。
あなたが「信じていない」ということに気づいたなら、「私が信じるとしたら、何をするだろう?」と、考えてみてください。
「思考」は、すぐに「人生がうまくいかない方向に進んでいる」という判断を、主張してきます。
あなたは、「そうではないだろう」と判断し、解けない「問題」をいま解こうとして奮闘するのは、やめておいてください。
次項で詳しく説明していきましょう。