この世界にあなたが正すべき「間違ったこと」や「不完全なこと」があふれていて、あなたがそれをどうにかしなければならないのだとすれば、何かが起こるたびに大騒ぎし、とても「うまくいっている」とは思えないことでしょう。
しかし、たとえそうは見えなかったとしても、実際のところ「すべてはうまくいっている」のだとしたら、あなたにとって嫌な「思考」を繰り返す必要はないということを理解し、物事の本質を見ようとすることができるのではないでしょうか。
まずは、現在の物事に何らかの狂いが生じていると考えることをやめて、起こっていることはすべて「起こるべくして起こっている」のかもしれないと、考え直してみましょう。
本当は、これからもうまくいく。
本来、起こるはずのないことが、災難や幸運として湧いている・・・というふうに考えていることはありませんか?
しかし、すべてはいまのあなたや他の人々にとって、ふさわしい「現状」なのかもしれません。
その現象が、好ましいか好ましくないか、よろこばしいのか酷いものなのかを決定して、どうにかする必要が本当にあるのでしょうか?
あなたのおこなうべきことは、現れた「現状」にどう対応するのかということを、あなたの意思で決定していくことではないでしょうか。
現れてきた「現実」は、ただ、「現れるべくして現れてきた」のです。
ここであなたがどのように反応し、対応するか、ということこそが大切なのです。
何かが起こったら、まず最初に「すべてはうまくいっている」ということを、思い出してみてください。
起こったことが、あなたにとって本当に「悪いこと」だったのかどうかは、誰にもわからないことです。
そうは見えないかもしれないけれど、もしもあなたにとって、すべてがとてもうまくいっているのだとしたら、いまのあなたには、どのような「選択」ができるのでしょうか。
すべてがあなたにとって、必要であるシナリオの一部であり、本当はこれからもうまくいくのだとしたら、あなたはいまどんなことを「選択」するでしょうか?
もっともっと、広く大きく視野を広げて、自分には最善の出来事が与えられているということを前提に、物事を考え直してみてください。
あなたが「すべてはうまくいっている」ことを理解できたなら、「現実」に現れてきたものを必死でコントロールしようとしたり、戦おうとしたりするのをやめることを「選択」することでしょう。
不愉快な出来事は、あなたが望んでいることを理解し、あなたをより良い場所へと連れて行くための、ただのきっかけに過ぎなかったと解釈してみましょう。
もしもそれが長い間あなたを苦しめていたことならば、あなたにとっては、もうなすすべがない・あきらめるしかない・ただ流れに身をまかせて楽になりたいと願うような、最後の決断に似ている「選択」であるかもしれません。
不思議なことに、そういったときに、本当にあなたの望みが叶う現象は現れ始めるのです。
あなたが抵抗感のある一切の考えを捨て、流れに沿った現実的な「選択」をしようとするとき、あなたは、あなたが最も望んでいる方向へ進み始めることになります。
さて、物事は、どうしてそのようになるのでしょうか。
私たちはいったい、どのようなしくみをもつ世界に生まれてきたのでしょうか?
それにしても、この世の中は不思議なことだらけですね。
例えば、そもそも自分がなぜ生まれてきたのか、わからない。
どうして物事がうまくいったりいかなかったりするのか理解できない。
学校で教わったこと・両親に言われてきたこと・法律で決まっていること、それに従うことでは問題がなくならず、楽になれない。
さて、こんなに不可解な世の中において、私たちは何をもって、「良い・悪い」といった判断をすることができるのでしょうか?
何かを、自分の「思考」によって決めつけてしまうということは、本当に必要なことなのでしょうか・・・?
これまで教わったことや信じてきたことが自分にとって役に立たないということに気づいたなら、古い知識や習慣をさっさと捨てて、真実を見い出せるような新しい知識をどんどん取り入れていきましょう。
ときには、問題を「問題」ととらえずに「放っておく」ということが正しい判断かもしれないのです。
次項で詳しく説明していきましょう。