秋元ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話です。
ワタシ:あなたについての質問をしたいのですが、あなたは、私たちのことを、どのように見ているのでしょうか?
内なる声:あなたがたは、皆、素晴しいよ。
ワタシ:素晴しい?私たち人間が、皆、素晴しいと感じているのでしょうか?
内なる声:そう。私の「目」をもって見るのは難しいことであるのはわかるけど、あなたも、他の者も、皆、素晴しいので教えを授けたい。
ワタシ:どのような気持ちをもって、教えたいと感じているのでしょう?
内なる声:私の教えをもって過ごすことにより、人生は変化をもたらす冒険の旅になると考えて欲しいと願っていて、そこにたどり着くまでの道のりを苦しんでいることを、「つらい」と感じないよう導いてあげたい。
私は、あなたのそのような活動を促進する教えを与えよう。あなたは、私の教えを、人々に伝えて欲しい。
ワタシ:よくわかります。メルマガや、このブログでの回答やサポートで、たくさんのことを教えていただいてますね。この教えは、どこまでも続くのでしょうか。それとも、段階があって、いまどのくらいの理解を得ているという見解を知ることができるのでしょうか?
内なる声:どこまでも続くのだとして、あなたの数字を表すと、「8」ぐらい。
ワタシ:どこまでも続くとして、「8」ぐらいって、どういうことですか???
内なる声:あなたの数字。「100」を限界として続くものとするなら「8」。
ワタシ:「どこまでも続く」と「限界とする」のは、反対の意味ではないの??
内なる声:どこまでも続くところに行きつくとして、あなたが「100」になることはない。
ワタシ:あなたは「100」なのですか?
内なる声:私は「98」。
ワタシ:「98」???
あと「2」は?まだ成長段階?(゚ー゚?)(。_。?)
内なる声:私のことはさておき、あなたは「8」にはなれたよ。
ワタシ:こういう数字のお話は、以前もされましたね。個人サポートをはじめた頃は、「4」か「5」だと言われましたが、増えているので、喜んでいいのでしょうか?
内なる声:喜んでいいのでは?もっと増えるのだし。
ワタシ:えーと…これは、何の数字でしたっけ?
内なる声:あなたの知識としてのたとえだよ。
ワタシ:知識のたとえ?「いい気分」になれる知識の量のお話ですか?
内なる声:量ではない。知識の理解へのたとえ。あなたの知識の理解の最高を「100」として、「8」の値を得ていて、あなたはいまどのくらい進んでいるのかと心配している。
ワタシ:「8」って、低いですか?他の人はどのくらいなのかな…?
内なる声:あなたが教えをまとめたものを読んで理解しようとする者は、「8」に追いつこうとする者。あなたの考えや教えを理解する者は、同じくらいと思えばいい。そして、さらに上を目指す者は、あなたの前にいる。そのため、あなたには「前に進む」ことを教えているのだよ。
ワタシ:なるほど…これまでたくさん教わり、成長したと感じていても、まだ「8」だと理解すればいいのでしょうか?上には上があり、理解に限界はないと?
内なる声:上には上の考えをもって動く要素をもつ考えを得られるのだから、いまのあなたに理解できるのはあなたの段階でしかない。しかし、あなたがたは、理解できないことでも、「素晴しい」ということを、肌で感じとることを可能とする。理解していないことを見たとして、それを「優れたもの」と判断できるということ。あなたがたの素晴しいとする理由は、そこにあるよ。
ワタシ:このまま、あなたにいろいろなことを教わり続けたとして、「100」に対してどのくらい近づけるのでしょう?その数字についてはよくわかりませんが…
内なる声:「80」を目指して欲しいが…あなたは「40」はすぐに越えると思うよ。
ワタシ:「40」???
けっこうがんばってきて「8」なのに?
内なる声:その数字のことを重要に考えなくてもいいけど、「わかる」ということを理解すれば、簡単なことなのだよ。
ワタシ:あなたは、サポートなどをおこなうとき、そのように理解の数値を見て、お話されているのでしょうか?
内なる声:理解の数値というのは、それぞれが、学ぶ要素を得られる数値に等しい。つまり、あなたに「8」以上の表現をおこなって話をしても、「8」の理解と、さらに得られる「理解の可能性」を見せることはできると判断して欲しい。
あなたの要求を「8」以上の理解に置く時、あなたはその可能性を手に入れる。あなたが望むなら、そこに行くことは可能になると思って欲しい。
ワタシ:難しいですが、つまり、自分の理解を「これまで」とせず、もっと上を見て教えを受ける姿勢があればよいのでしょうか。
内なる声:ほら、あなたは、難しいことを言えばすぐ、その上の理解を得たいとわかるだろう?あなたがたは、何を得ようとするかによって、得られるものを変化させられる。だから、素晴しいのだよ。
ワタシ:わかりました…。もっといろいろ聞きたいです。来週は回答をされますか?
内なる声:そうだね。ではまた来週。
ワタシ:また来週!(⌒▽⌒)ノ
この記事へのコメント(記事更新から30日以内)
ゆきさん、内なる声さん、こんにちわ。
ご相談があります。
私は数年前に、仕事で人にものを教えることをしてから、
教えるという事が楽しいと感じていました。
理由があり、その仕事をやめて、
今は他の仕事を始めて5年以上がたちます。
今の仕事は人をリラックスさせる仕事です。
私はその仕事を始めてから、
将来、できたらそのようなスクールを
開講したいと夢見ていました。
経験も浅いし、まだまだ先の事になるだろうと
思っていたのですが、
ついこの間、突然、「私にだってできるんじゃないか」
という力強い気持ちがなぜか、突然、わきあがってきました。
自分がスクールを開いたら、
こんなHPを作って、とか
こんな事を教えて、とか
そういう事を考えているととてもワクワクしてきます。
でも、実際問題、どのようにしたら
開講できるのかその方法も分からないし、
開講したところで生徒さんがくるのかと考えると
ワクワクしていた気持ちがしぼんでしまいます。
また、自分の技術ももっと磨かないと無理だろうという
気持ちが出てくると、無理かもしれないとなってしまいます。
資金面とか、場所とか、具体的な事を考えれば考える程、気持ちがしぼんでいきます。
でもすぐに、「だけど出来るかもしれない。
出来たら嬉しいな」という気持ちに考えの方向を戻すと
またワクワクが戻ってきます。
このように、めども立たないのに、楽しい気持ちになるということは、私がススム道だと考えて構わないのでしょうか。
もしそうなら、その道をポジティブに進むためのアドバイスをいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。