あなたの理解を進めること

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秋元ユキです。
「内なる声」との対話を更新します。

ワタシ :大地震にて、被災された方をはじめ、関係者の方々のお気持ちを考えると、更新内容をどのようにすればよいのかわからず、悩んでおりました。
私は、今回の震災を含め、こういう出来事について、どう考えればいいかわかりません。
あなたは、今回のような出来事を、どう考えるのでしょう?

内なる声 :「今回」とは、何を指しているの?
ある事象をもって、「今回のような」と言っているのはわかるけど、あなたが経験した震災にも、その他のひどい災害にも、「経験」という以外の意味など、考える必要もない。
「いまの自分」の感じていることが、あなたの経験であるのだから。
何かを変に考えないといけないのではなく、あなたが考えをどうするかを求めていくのが良い。

ワタシ :私は、阪神大震災を経験しました。
とても大変な時期を共有し、皆がそれぞれの復興を目指し、この街はきれいになりました。そのことを考えると、「必ず良くなるのだとわかってる」と思います。
ただ、大きな心の傷を背負っている人々や、多くの甚大な被害を受けている人々が、「このような目にあう理由を知りたい」と感じるのではないかと思います。

内なる声 :そう思うのは、あなたがそこにいないから?

ワタシ :いいえ。そこにいたら、必ずそう思うと感じます。

内なる声 :あなたがそこにいないのであれば、そこにいる人にとっての心の動きなど見えない。
あなたが「できることをする」というのなら、何もその気持ちを想像することを続ける必要もない。
あなたにとって、何をどう考える機会を得ているのかと、そのことを理解すべき。

ワタシ :はい。いろいろな方々の気持ちや、日本の状況、そしてたくさんの人々の支援などを感じながら、テレビを見たりしていると、忘れている気持ちを思い出したり、少しのことにこだわっていることがバカらしくなったり、ということを考える機会となってます。
「自分のことを考える」というのは難しいことですが、人のことを理解することや、自分ができることを考えるのは、「自分」への理解に繋がるのでしょうか?

内なる声 :あなたにとって、「何をどうしたいのか」ということを考える機会があったのであれば、それは、良い機会と呼べるもの。
ある事象が、すべて「悪」とみなすことを薦めない。
ある事象の中に、それぞれの意味をみる。
一つのことについて、あなたにとって、困ること、つらいこと、悪いと思えることも、別の見方を必ず有するということ。
事象は、一つの事象。
それをもって、あなたが何を考えるかというところ見てはいかが?

ワタシ :そうですね。
ただ、「自分がどうか」ということももちろんのこと、こういう時の人の温かさを感じているのは、とても気持ちのよいものと感じます。
皆が必死で、助けを要している人に手を差し伸べているこんなパワーを、普段から惜しまずにいられれば、どんなに良いかと思うのです。
私たちは、事の大きさによって、そういう態度を少し変化させますね。
このことをどう思いますか?

内なる声 :あなたもそうなの?

ワタシ :私は、何がどうなったかということによって態度を変化するのではないと思っていますが、その事態の深刻さよりも、自分が何かをするとき、自分にとっては精一杯のことでも、相手にとってどうなのだろうかというところを、考えてしまいます。
たとえば、困っている人が、「どれほど困っているか」によってどうするということではなく、自分ができることをしたとして、「その人が果たして困らないか?」という考え方をしている。
だから、困っている人にとって、できることというのが何かというのを考えるのは、難しいと思いました。
やはり、「困らない方向へ進んで欲しい」という気持ちを伝えることしかできないし、自分が何かをしてあげることは、「一時的な支援という形の手助けとなればいい」と思ってのことだと感じます。
困った人々にとって、困らなくできるのは本人しか無理ですよね?

内なる声 :そんなふうに考えてるの?
あなたができることってどんなこと?

ワタシ :この震災の中、ですか?
私ができることなど、ほとんどないのではないかと思うけれど、こうしてあなたのお話を、聞きたい方に届けたり、「考える機会を得ている」という気づきを渡せるのならうれしいのですが…。

内なる声 :あなたにとって、「自分」というものの考えを理解するという内容のことを、普段から伝えていることを、どう思う?
今回のようなケースでは、当てはまらないことなの?

ワタシ :そういうことではないのですが…、どう考えればいいのかわからないのです。
これまで、「自分」のことについて、そしてハイヤーセルフのことについて話を進めてきて、あなたに質問することを考えていたのですが、いま大変な状況を過ごしている人々のことの話をせず、セルフの話をするのがいいのかどうか、わからないと感じていました。

内なる声 :そう。それで私が、「そうだな。セルフのことなど、今は関係ないのだよ」と言うのだと思うの?

ワタシ :いえ、そうではありません。
ただ、これまで私が聞こうとしていたことが、私にとって、「私自身」という狭い考えのもとに、話していたことだということに気づいています。
「私を知る」ということが、そういう、とても広いという意味でというふうに、考えていなかった。それが、よくわかったと思います。
あなたは、どう考えてますか?

内なる声 :何のことを言ってる?

ワタシ :今回の震災について、話を進めるにあたって、あなたの考えを教えて欲しいのです。

内なる声 :私は、あなたが「自分と言うものを理解してない」ということがわかるのであれば、その理解を得ていることが、喜ばしいと感じている。
あなたのように、何かの事象と共に変化をもたらし、あなたへの教えを変化するものではない。
あなたは、迷い、悩むと言っている。
それを、「そうしない方法を探す」のも、無駄と言っている。
あなた方のほとんどは、そういうただ、自分にとっての「快」を求め、そこに向かってひたすら歩くということを目指すのが良いとして話をするけれど、私が言っているのは、最初から「あなたは迷う」ということ。
こうして、何かが起こるたび、あなたが迷う。
ならば、「迷わないこと」など目指すのをやめること。
あなたは、迷う。
そして、あなたが迷うことで理解できることを理解し、そして、何を理解してなかったかを理解できる。
そこに「何かを犠牲にしている」という考えをもつため、あなた方の心は闇に向かう。あなた方の考えの多くは、そのような考えをもって、つらく過ごすという傾向にある。
つらいという事象について悩むことは、どんなときにも可能。
ただ、そこにあなたが、あなたの理解を進めるという事象をみるのなら、何も闇に向かうことを必要にした事象と、とらえる必要もなかろう。
たしかに、あなたの目に映る事象は、これからも、多くの「困ったこと」かもしれない。
だが、あなたがその「困ったこと」を何としてみるかということで、あなたらしいあなたの道を進めるのであれば、あなたがいま、理解しようとしていることの光を得るという一面を見る。
「そうでない者がいるのだ」と思う必要などない。

ワタシ :そうは言っても、やはりいま、そのように希望をもてない方もたくさんいらっしゃると思うのですが、どうでしょう?

内なる声 :「そうは言っても」などとは、考えない。
あなたにとって、そう見えていても、私がそう見えているのではないと言っている。
「この事件があって、どう」というのではない。
どんなことにも、同じ理解を得る必要をもっている。
あなたが、あなたの理解を進めるということしか、あなたにはできない。
「それ以上の何かできるものを」という考えをもって、話すのをやめなさい。
何をどうとらえようと、大きい事件・事故、そしてそうではない事件・事故、そして、そのように多くの人が関わったもの・そうでないものに関わらず、あなたが理解していくものは、そこにしかない。
それぞれの意味をもって、その事象を受け止めるという以外の意味もない。
あなたが、これから迎えていく出来事が、小さいことだの大きいことだの、考えていることに何の意味をもつ?
あなたにとって、それがどういう意味をもつのかを考え、何をどうしようとするのかを考え、自分に訊ねるという以外に何の意味を持つ?
そういうことを普段から考えていないということの反省をするというのなら、意味もあるかもしれない。
ただ、あなたが伝えていることというのは、そういうことであって、「あなたにとっては大切であるが、他の人にとってそうではないもの」にあらず。
いま、私が言っていることを理解している?

ワタシ :はい。私は、自分が「自分」というものをとらえようとしていたことについて、そういう広い考えをもって取り組んでいなかったと、考えを改める必要をもっているのだと感じます。
「自分」ということを考える以外のことを、できないという意味もわかります。
単にハイヤーセルフや、不思議な現象の意味など、考えても無意味と感じます。

内なる声 :そういうことを理解したのであれば、少しは理解も進んでいく。
いかに自分の理解の及ばない範囲での考えを巡らせているかということを知るのなら、あなたがこれからそういう「自分」というものの考えを、考えていこうとしている自覚をもって取り組めばどう?

ワタシ :はい。私も少し考えを改め、今後の質問をしていきたいと思います。
今回の震災によって、多くのつらい現象を見ている方々に言えることは何ですか?

内なる声 :つらいということを考えるのは、つらいという現象を見ているとき。あなた方がつらいという現象を見続けることも、また、あなた方の理解を進めることを見ようとすることも、あなた方の視点を移すということにより、変わると知ること。
そのときのつらさにまいるということを選ぶのは、薦めない。
どんなことにも、あなたへの愛は存在するということを忘れず、あなたの心に訊ねてみること。
いま、「自分」というものの考えることは、自分にとって、良い方向へ向かうものであるのかどうか。
ただ、「つらい」ということを感じるのであれば、つらい気持ちを抑えることをするのではない。
そこに、愛を感じるものを見て欲しい。
愛とは、あなたが垣間見るものの中にあふれている。
そこを見ようとするまでは、つらいということ。
あなたのつらいという気持ちの中、その愛を見ることをやめずにいて欲しい。
そこに、愛がないと感じるのは、あなたが見ているものが、愛ではないとき。
それをよく覚えていて欲しい。
つらいのは、わかる。
しかし、そこに愛を見て欲しい。
いまの、理解の範囲でかまわない。
そうすることしか、いまのあなたにはできないと知るのが大切。
必ず、そこから進んでいくあなたを見る。
私は、それを言っておこう。

ワタシ :わかりました。では、またよく考えて次回質問します。

内なる声 :うん。では。

ワタシ :次回にお会いしましょう。

 

この記事へのコメント(記事更新から30日以内)

  1. うめ より:

    ユキさん、内なる声さん、更新ありがとうございます。
    今回の震災、様々な声を聞きます。
    その中でも、震災が起きた意味を考える方がおられますが、今回の内容にあったように起きたことそれ以上もそれ以下の意味もないと思いました。
    突きつけられる現実を少しでも見つめ受け入れようとする方も、今の自分にできることをと既に踏み出している方も大勢いらっしゃいます。
    今回ユキさんが悩みながらも更新された内容は、今みんなが考え悩んでいることであると思います。
    そして少しでも早く答えを得たいと思うのですが、いつでも自分という存在を見つめることでしか答えは得られないのだなと、当たり前のことですが改めて気づかせていただきました。
    今日の内容、一読者として本当に感謝いたします。
    最後になりましたが、今回被災されたみなさまの傷が一日でも早く癒えますようお祈り申し上げます。

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