不思議なことの発信

いい気分ドットコムの秋元ユキ(@yuki_i_kibun)です。まずはYouTubeと、LINE会員に登録♪

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秋元ユキです( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話の更新です。

ワタシ :前回の対話に続き、ハイヤーセルフのことをお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか。

内なる声 :うん。

ワタシ :前回あなたが、「自分」を感じることが、「セルフを感じる」と等しい、と言われていたことについて、いろいろ考えていたのですが…
私は、セルフという存在のことについて、心の中で、「何かわからないけれど、自分というものがわかるという感じ」がするのが、そうなのかなと思ったのですが、合っているでしょうか?

内なる声 :うん。あなたが、自分のことを考え、そこに自分の好みを感じたり、喜びを求めるそのものを、セルフと考えてみてほしい。

ワタシ :なるほど…。少しわかった気はしますが…
うーん、あなたがセルフとお話できるというのは、どんな状態なのでしょう?セルフは、自分の中にいるのではないということ?そこに、セルフの姿を見てるということでしょうか?

内なる声 :そう。私はそこにあなたのセルフという姿を見、あなたが知っていることをよく理解しているセルフと話す。セルフが言うこととは、あなた自身の理解してない気持ちや、あなたが「わからない」と感じていることへの考えとなる。そういうことを話すため、あなた自身への気づきを渡す術を知らないまま、セルフの困った姿を見ている。

ワタシ :セルフの困った姿ですか…それぞれのセルフは、どんな姿であるのでしょう?

内なる声 :そうだな…姿とはあなたが見えるイメージではない。私が感じているイメージ。

ワタシ :うーん。よくわからないけど、そういう姿を見て、あなたはどうするのでしょう?

内なる声 :なぜ理解してない者への気づきを渡せないかというと、あなたが理解を閉ざすことをするから。つまり、困るようなことを考え、自分に気づかない、とセルフは話す。「自分」とは、あなた自身ということだとすると、それはあなたが「自分」を外した物の考えをするということ。
あなたが困っているとき、「自分」がどう考えているかを「自分」に聞くということをせず、相手や物事に対して考えを巡らせるはず。そういう時、何もできないセルフが、同じく困っているという話。

ワタシ :それはよくわかる気がしますが、では、どうするのがよいのか、わかってないのかもしれません。

内なる声 :わかってないことを、あなた方の心とは、思い巡らせることをするということ。つまりは、あなた方が「わからないこと」を、知っているかのような働きを見せる。
なぜ、そうするか?
「自分」という者の、何もわからないまま、わかっている気をもっているのが、そもそも「あなたではない者」の知識と知らないため。あなたでなく、あなたの深い知識を、あなたの知識と思うから、あなたがその場にて知識を分離させていくことに気づかない。
「わかってないこと」を、わかっているのをセルフとすれば、あなたの考えがすべてを理解するのでないと知る。あなた自身が深く理解していると思うのでない。「私の心に聞いてみて、それが良いと感じるかどうか」そういう方法をあなたはもっている?

ワタシ :うーん、ちょっとややこしくて難しかったですが…「自分の心に聞いてみる」というのは、何かわかる気もします。そういうことを理解しているわけでもなく、「そうするのがいいと思うかどうかを判断する」ということかな…?

内なる声 :まず、そういう気持ちの確認とは、なぜ必要と思うか不思議なのでは?あなたの心を、深く探りながら歩いていくのを必要とするのはなぜ?あなたが「理解していること」とは、そういう深い場ではなく、あなたが「反応」という調子で始めていくものに過ぎない。
「これでいいかどうか」「私はこうでないと嫌」という「自分」を感じ、とどまる理由とは、あなたのもっと深い知識の囁きと感じない?

ワタシ :ああ、そうかもしれません。うん。わかる気がします。こういうのが、きちんと「自分を感じる」ということかな?
うーん…でも何だか、顕在意識と潜在意識の違い…というような気もしましたが、そうではないのですよね…?

内なる声 :「意識」とは、あなたの「とらえ方」の問題。私が話しているのは、「自分」という、深い愛をもって見るということ。そこに「自分」という愛をもって、あなたが眺めている物事を、きちんと「とらえるかどうか」の問題。「とらえ方」の問題以前に、あなたが「自分」という存在からの発信を理解してなければ、自分との乖離を始めるのでは?

ワタシ :「自分」という存在からの発信を理解する…うーん、ちょっと難しいのですけど、「自分」と乖離せず、どうするとおっしゃいましたか?

内なる声 :私の話を聞いて、あなたの「自分」という考えを見直すべき。あなたの「自分」という考えをどれくらいもっているのか、そこを見て欲しい。
「自分」という話しをして、そこに「自分」を感じている?
それは、「あなたのセルフを感じている」に等しい、と話しているのをどう思う?

ワタシ :ええ…?うーん…「ハイヤーセルフを感じてる」とは思えないです…「自分」っていうのは、「自我」とか「自分の気持ち」とか、そういうことでしょうか?

内なる声 :いい?「自分」はいま、何を感じてる?

ワタシ :うーん、「わからない」と感じてる。

内なる声 :では、「わからない自分」をどう思う?

ワタシ :もどかしいとか、もっとわかればいいとか思います。

内なる声 :なぜ、そう思うか?
あなたは、「何も知らない」のを前提として話してるのに、なぜそれが気に入らないか、わかる?

ワタシ :えー…わからない。
「何も知らない」のを前提として話してるのに…?あれ…でも、そうですよね…。なぜか「わかるはず」として、聞いていましたね…。

内なる声 :そういう気持ち自体の発信源とは、実にセルフの言いたいことであるというもの。
「わからない者」の考えを、どうして「わからない」として置いてないか、という不思議なことの発信を「わかる者」がおこなう、という説明を聞いて、それならわかる気がすると思わない?

ワタシ :えー…ほんとですね。いま、「わからないこと」を、あなたに理解できるようにしてもらおうとして、ちゃんと納得できる説明をしていただこうと、必死になってました。
「わからない者」が、「わからない」のはあたりまえで、もどかしいと思う必要はないのに、もどかしくなくてもいいことを、もどかしいと感じたり、「なぜわからないか?」と思います。だけど、セルフという「わかる者」が、「わからない者」の考えをもどかしいように感じているのなら、わかる気がしますよね…
うーん…だけど、そういうことだとはわかったけど、結局、どう考えたらいいかよくわからないな…。

内なる声 :あのね、だから、「どう考えればいいのか、わからない」のが当然。それを、なぜ「わかろう」と、もがくか。
そういう知識の判別を、あなたができるのでないと知れば、あなたがどうする必要をもつのか少しわかる。今の考えを聞いて、どうする必要をもつと思う?

ワタシ :今のお話を聞いて、私にわかってることなど何もないのに、どうして時に、すべてわかったように考えているのか、不思議だと思いました。
だけど、もし、私の中で「わかっている者」の囁きを少しずつでも理解していけるのなら、すべてわかったように考えるのをやめて、何もわからない中で、そうやって確認しながら判断していけばいいのかなと思ったのですが…?

内なる声 :うん。いいと思う。あなたの冷静な思考で考えれば、そう思えるのでしょ?なら、あなたがその冷静な判断を見失うことをなくすのを薦めよう。

ワタシ :うーん、今回のお話は、わかったようなわからないような…。だけど、わからないことを追求しても、「わからない」というのはわかるのですが…。

内なる声 :うん。では、次回に、あなたが多くをどういうふうに考えているかを見直すための話しをしてみる。おわり。

ワタシ :はい。
というワケで、このように話が進んでおりますが、いかがでしょう。
とにかく聞いてみて、いろいろ理解しようとすることにしてみます。
ではまた次回。

 

この記事へのコメント(記事更新から30日以内)

  1. 秋元ユキ@管理人 より:

    kazuさん、はるさん、
    コメントありがとう。
    なにかまた、思うところを書いて、ブログに参加してくださるのを待ってるよ。
    ヾ(´ー`)ノ

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