秋元ユキです( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話の更新です。
ワタシ :前回の対話に続き、ハイヤーセルフのことをお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか。
内なる声 :うん。
ワタシ :前回あなたが、「自分」を感じることが、「セルフを感じる」と等しい、と言われていたことについて、いろいろ考えていたのですが…
私は、セルフという存在のことについて、心の中で、「何かわからないけれど、自分というものがわかるという感じ」がするのが、そうなのかなと思ったのですが、合っているでしょうか?
内なる声 :うん。あなたが、自分のことを考え、そこに自分の好みを感じたり、喜びを求めるそのものを、セルフと考えてみてほしい。
ワタシ :なるほど…。少しわかった気はしますが…
うーん、あなたがセルフとお話できるというのは、どんな状態なのでしょう?セルフは、自分の中にいるのではないということ?そこに、セルフの姿を見てるということでしょうか?
内なる声 :そう。私はそこにあなたのセルフという姿を見、あなたが知っていることをよく理解しているセルフと話す。セルフが言うこととは、あなた自身の理解してない気持ちや、あなたが「わからない」と感じていることへの考えとなる。そういうことを話すため、あなた自身への気づきを渡す術を知らないまま、セルフの困った姿を見ている。
ワタシ :セルフの困った姿ですか…それぞれのセルフは、どんな姿であるのでしょう?
内なる声 :そうだな…姿とはあなたが見えるイメージではない。私が感じているイメージ。
ワタシ :うーん。よくわからないけど、そういう姿を見て、あなたはどうするのでしょう?
内なる声 :なぜ理解してない者への気づきを渡せないかというと、あなたが理解を閉ざすことをするから。つまり、困るようなことを考え、自分に気づかない、とセルフは話す。「自分」とは、あなた自身ということだとすると、それはあなたが「自分」を外した物の考えをするということ。
あなたが困っているとき、「自分」がどう考えているかを「自分」に聞くということをせず、相手や物事に対して考えを巡らせるはず。そういう時、何もできないセルフが、同じく困っているという話。
ワタシ :それはよくわかる気がしますが、では、どうするのがよいのか、わかってないのかもしれません。
内なる声 :わかってないことを、あなた方の心とは、思い巡らせることをするということ。つまりは、あなた方が「わからないこと」を、知っているかのような働きを見せる。
なぜ、そうするか?
「自分」という者の、何もわからないまま、わかっている気をもっているのが、そもそも「あなたではない者」の知識と知らないため。あなたでなく、あなたの深い知識を、あなたの知識と思うから、あなたがその場にて知識を分離させていくことに気づかない。
「わかってないこと」を、わかっているのをセルフとすれば、あなたの考えがすべてを理解するのでないと知る。あなた自身が深く理解していると思うのでない。「私の心に聞いてみて、それが良いと感じるかどうか」そういう方法をあなたはもっている?
ワタシ :うーん、ちょっとややこしくて難しかったですが…「自分の心に聞いてみる」というのは、何かわかる気もします。そういうことを理解しているわけでもなく、「そうするのがいいと思うかどうかを判断する」ということかな…?
内なる声 :まず、そういう気持ちの確認とは、なぜ必要と思うか不思議なのでは?あなたの心を、深く探りながら歩いていくのを必要とするのはなぜ?あなたが「理解していること」とは、そういう深い場ではなく、あなたが「反応」という調子で始めていくものに過ぎない。
「これでいいかどうか」「私はこうでないと嫌」という「自分」を感じ、とどまる理由とは、あなたのもっと深い知識の囁きと感じない?
ワタシ :ああ、そうかもしれません。うん。わかる気がします。こういうのが、きちんと「自分を感じる」ということかな?
うーん…でも何だか、顕在意識と潜在意識の違い…というような気もしましたが、そうではないのですよね…?
内なる声 :「意識」とは、あなたの「とらえ方」の問題。私が話しているのは、「自分」という、深い愛をもって見るということ。そこに「自分」という愛をもって、あなたが眺めている物事を、きちんと「とらえるかどうか」の問題。「とらえ方」の問題以前に、あなたが「自分」という存在からの発信を理解してなければ、自分との乖離を始めるのでは?
ワタシ :「自分」という存在からの発信を理解する…うーん、ちょっと難しいのですけど、「自分」と乖離せず、どうするとおっしゃいましたか?
内なる声 :私の話を聞いて、あなたの「自分」という考えを見直すべき。あなたの「自分」という考えをどれくらいもっているのか、そこを見て欲しい。
「自分」という話しをして、そこに「自分」を感じている?
それは、「あなたのセルフを感じている」に等しい、と話しているのをどう思う?
ワタシ :ええ…?うーん…「ハイヤーセルフを感じてる」とは思えないです…「自分」っていうのは、「自我」とか「自分の気持ち」とか、そういうことでしょうか?
内なる声 :いい?「自分」はいま、何を感じてる?
ワタシ :うーん、「わからない」と感じてる。
内なる声 :では、「わからない自分」をどう思う?
ワタシ :もどかしいとか、もっとわかればいいとか思います。
内なる声 :なぜ、そう思うか?
あなたは、「何も知らない」のを前提として話してるのに、なぜそれが気に入らないか、わかる?
ワタシ :えー…わからない。
「何も知らない」のを前提として話してるのに…?あれ…でも、そうですよね…。なぜか「わかるはず」として、聞いていましたね…。
内なる声 :そういう気持ち自体の発信源とは、実にセルフの言いたいことであるというもの。
「わからない者」の考えを、どうして「わからない」として置いてないか、という不思議なことの発信を「わかる者」がおこなう、という説明を聞いて、それならわかる気がすると思わない?
ワタシ :えー…ほんとですね。いま、「わからないこと」を、あなたに理解できるようにしてもらおうとして、ちゃんと納得できる説明をしていただこうと、必死になってました。
「わからない者」が、「わからない」のはあたりまえで、もどかしいと思う必要はないのに、もどかしくなくてもいいことを、もどかしいと感じたり、「なぜわからないか?」と思います。だけど、セルフという「わかる者」が、「わからない者」の考えをもどかしいように感じているのなら、わかる気がしますよね…
うーん…だけど、そういうことだとはわかったけど、結局、どう考えたらいいかよくわからないな…。
内なる声 :あのね、だから、「どう考えればいいのか、わからない」のが当然。それを、なぜ「わかろう」と、もがくか。
そういう知識の判別を、あなたができるのでないと知れば、あなたがどうする必要をもつのか少しわかる。今の考えを聞いて、どうする必要をもつと思う?
ワタシ :今のお話を聞いて、私にわかってることなど何もないのに、どうして時に、すべてわかったように考えているのか、不思議だと思いました。
だけど、もし、私の中で「わかっている者」の囁きを少しずつでも理解していけるのなら、すべてわかったように考えるのをやめて、何もわからない中で、そうやって確認しながら判断していけばいいのかなと思ったのですが…?
内なる声 :うん。いいと思う。あなたの冷静な思考で考えれば、そう思えるのでしょ?なら、あなたがその冷静な判断を見失うことをなくすのを薦めよう。
ワタシ :うーん、今回のお話は、わかったようなわからないような…。だけど、わからないことを追求しても、「わからない」というのはわかるのですが…。
内なる声 :うん。では、次回に、あなたが多くをどういうふうに考えているかを見直すための話しをしてみる。おわり。
ワタシ :はい。
というワケで、このように話が進んでおりますが、いかがでしょう。
とにかく聞いてみて、いろいろ理解しようとすることにしてみます。
ではまた次回。
この記事へのコメント(記事更新から30日以内)
こんにちは。
いつも読もうとするのですが、言い回しが回りくどくて読み続けることができないんです。
もうちょっと普通のわかりやすいシンプルな言い方に翻訳して文章化して欲しいです。
Yさん、コメントありがとう。
言い回しか…うーん。たしかに難しい内容だけど、困ったな…。
今回「内なる声」が話された内容って、きっと私が簡素化できるような内容ではないと思うので、もう少しわかるように聞いていこうと思ってるんです。
他の方も、Yさんと同じご意見?
考えるので、コメントくださいね。
私も同感です。
毎回、読みたいと思って努力するのですが、日本語として結構難解ないい方が多くて最後まで読めないことが多々あります・・・
今回の内容が難しいから、ではなくて、内容にかかわらず難解な言い回しが多いです。。。
「あなたの冷静な思考で考えれば、そう思えるのでしょ?なら、あなたがその冷静な判断を見失うことをなくすのを薦めよう。」
→この一文にしてもつまり
「あなたが冷静に考えたらそうなのでしょう?それなら、そういう風に冷静な判断のままでいるのがいいね」
とか、そういうもっと砕けた文章にしてもらえると、もっとすんなり最後まで読めるようになるとおもうんですが・・・
ゆりのねさん、コメントありがとう。
つまり、「内なる声」のよく使う、「反語」的表現のことを言ってるのかなと思う。
「反語」ってのは、断定を強調するための表現で、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる方法。
例で言うと、
「あなたの冷静な思考で考えれば、そう思えるのでしょ?なら、あなたがその冷静な判断を見失うことをなくすのを薦めよう。」
→この一文をわかりやすくするならつまり
「あなたが冷静な思考なら、そう思えるのでしょう。そうであるならば、その冷静な判断を失ってしまうことを、普段からなくすのが大切」ってこと。
せっかく読みたいと思ってくれてるのだから、きちんと理解できた方がいいよね。
ちょっと「内なる声」に聞いてみる。
聞いてみた↓
『うん。私の言いまわしではない。あなたの理解の問題。その一文を、訳す人によって、理解が違う。
私の話したことを変更してもいいけど、「もとの文との意味の乖離が心配」と思うのなら、やめておけば?
わかるように話すというのは、「その者のわかってる範囲で話す」という意味。わからないところに、ヒントを見て欲しい。』
うん。ゴメン。ちょっとわからなくなってきたから、考えたいので、他にもご意見があれば教えてください。
こんばんは!
確かに今回のは少しきつかったですが(^_^;)
このややこしい言い回しの為に何度も何度もその文章を読み返す必要があるんですね。
そうしているうちに自分の中にすっと入ってきますよ!読み砕くという言葉が適切かもしれませんが、感じ取れるものがあります。
自分で確認し、問いながら無意識に読んでるんですね!
さらっと読めると、読み流してしまいますしね!
わざと「内なる声」もされているのだと理解してますが。
ジョニーさん、コメントありがとう。
そういうご意見もあり、少しホッとしました。
まず、「内なる声」が、いま話すことを書くように言われてるので、書きます。
『私は、あなた方の意見をもっと言わない理由を知りたい。
あなた方は、秋元ユキの考えを聞いて、それに私が答えるのを楽しむのを望んでいるの?
それとも、私の言うことを理解するのを望んでいるの?
たとえば、「あなたがどうしたいのかは、自分の心に聞いてみて欲しい」という話の中、コメントをつけるのを選ぶかどうかの段階で、理解をせずに終わろうとする者の判断をどう思う?
コメントをする内容について、「わかりにくい」と話す「自分」をどう思う?
私の話をわかろうとしてるのなら、「あなたが言っているのをこう解釈したけれど、それでいいか」という内容を書くのでは?
つまり、「なにもしないまま理解させてもらおう」としているのが「自分」ということを、感じない。
そうであるなら、今回の話などわからないだろうと思うよ。』
こういうふうに言われました。
私は、じつは私が「内なる声」と対話しているのを聞いて、どう感じたかとか、私とは違う意見でもいいので、もっとコメントして欲しいと思っています。
だから、今回、コメントが入ってうれしかったのですが、「簡単な文にして」って言われて終わりなのは、「読者に対して、不親切じゃない?」という意味に聞こえて、ちょっと違うかも、と思ってしまいました。
だって、「内なる声」は、「私だけに特別意味が通る言い回し」をしているのではないので、私も何とか理解しようと、考えて疲れながら対話してるんだと、わかって欲しくなってしまいました。
だから、「言い回し自体の問題だよ」というコメントで終わるのでなく、たとえば私と同じ立場だと認識して、聞いてみてから、その言い回しやその意味について、わからないことを聞いてみてくれればうれしいと思います。
そのご意見や、わからない点を受けて、次に続けることもできるし、コメント欄で、「内なる声」に聞いてみることも、できるのではないかと思います。
少し考えるので、もっと思うことを教えて欲しいです。
コメントしてみてください。ヨロシクです。
ごめんなさい、ゆきさんを嫌な気持ちにさせるつもりでコメントしたわけではありませんでした。ただ単純に、私と同じように感じている方がいたので、コメントしましたが、確かにこちらの言い分だけ言い逃げみたいなコメントでしたね。
スミマセン
読む人によって解釈が異なってよいのなら、そして、何度も読み返して自分なりにかみくだいた方がよいのなら、今のままでかまいません。私にとっては難解な文章ではありますが、今は最後まで読めなくても、理解したいからチャレンジし続けます。
ゆきさんは直に内なる声さんとコミュニケーションを取られているので、こうして文章としてだけで読んでいる私よりニュアンス的にもっと理解しているんだろうと勝手にそう思っていましたが、そんなことなかったみたいですね。私たちに伝えるのに苦労している、といった一文を見て、そう感じました。
文章だけのやりとりは難しいですね。嫌な思いをさせてしまったならスミマセンでした。これからはこのようなコメントを書くときはもっと気を付けようと思いました。
これからもブログ、理解したいと思いながら拝見します。
ありがとうございます。
ゆりのねさん、コメントありがとう。
そうか。なるほど。
「直に内なる声さんとコミュニケーションを取られているので、こうして文章としてだけで読んでいる私よりニュアンス的にもっと理解しているんだろう」
というふうに思ってる、ということなのですね。
たしかに、文章にした時に、ニュアンスで理解できたことを、もっと私の文章にして伝えた方が、わかりやすいかもしれない。
そういうふうにすれば、もっと読みやすいかな。
文中にもあるように、私も実際、「わからない」だの、「ややこしい」だの言いながら、話してます。
しかも、長文でややこしい言葉を聞きとった後、何度も読み返して、少し理解できた後、質問してます。
このコメントを受けて、次回のブログで話を聞いてみる。
コメントをしてくださるのがうれしいので、思ったことを伝えて欲しいのです。
今回のコメント、いただけてよかったです。
いつも楽しみに読まして頂いてます。頑張って下さいね
いつも楽しみに拝見しております。
ユキさんのおかげで色々と勉強させてもらっています。ありがとうございます。
最近の対話では、特にハイヤーセルフについてお話されていますが、難しいながらもすごく大切な内容だと感じております。
セルフを感じ理解しようとすることは、自分自身を理解するためにとても重要であるというように受け取りました。この対話でセルフに対する意識がより一層高まったような気がします。
これからも大変ですががんばってくださいね。
応援しています!