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秋元ユキ
秋元ユキ
いい気分ドットコムの秋元ユキ(@yuki_i_kibun)です。
スピリチュアルな存在との対話の更新です↓

秋元ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話を更新します。

ワタシ :ブログを更新したいのですが、どうしましょう?

内なる声 :うん。では、しよう。
私は、普通に話す。あなたはいま、何を目指している?

ワタシ :いま、目指していることですか?
うーん、あなたと話していく中で、目指すものを見つけたいと思っているのですが…

内なる声 :そう。あなたが、目指してることって、まだ見つけれないの?

ワタシ :そうですね…まだ漠然としているというか…
はっきりとは見つけれていません。でも、それが見つかるような気がしています。

内なる声 :あなたにとって、自分の目指すものとは、いつ見つかると思う?

ワタシ :それは、いつでも可能と思います。

内なる声 :それであれば、あなたが見つけれるまで、探せると感じていなければいけないのでは?

ワタシ :そうですね。いつも、それを感じていたいです。

内なる声 :しかし、あなたは、目指すものがないまま、探すことをしたくなくなるよ。どう?

ワタシ :え?うーん…私はそんなふうに思ってないですが…
探していても見つからないと、困ると思うかもしれないですね。

内なる声 :そう。でも、あなたは、見つかったとしてどうするの?

ワタシ :見つかったら、どんどん前に進めると思っています。
だから、それを見つけるまで試行錯誤するのですよね?

内なる声 :だけど、いま、そうして探している間の気持ちが定まっていないのは、つまらないのでは?

ワタシ :たしかに、試行錯誤している時って、気持ちが定まってないですね。次の目標や目的がないままに動くのって、どうしたものかなと思います。
やりたいと思うことが漠然とあって、その前に、これまでしてきたことや、読者の希望はどんなものかなと考え、自分の確たる目的を見つけるよりも先に、「何をしたらうまくいくか?」と考えていることがあって、進みづらいこともあります。
そういう時、何を目的とするかが定まってないと、わからなくなることも多いですね。だけど、それを理解するため試行錯誤するのではないかと思うのですが、どうでしょう?

内なる声 :うん。しかし、あなたがどんなことを「目的」とする「気持ち」にするかということが、それほど難しいものなの?

ワタシ :あ、そうですね。また、いろいろややこしく考えてますね。
「目的」とする「気持ち」ってどんなものか、ということを、ややこしく考えすぎかな。

内なる声 :特に、あなたがすることを、ややこしく考えているみたい。
あなたが、どんな「目的」をもってするかということの影響とはどんなもの?

ワタシ :影響ですか?うーん、あまり影響などないと言いたいところだけど、あなたが発言するものを発信するとき、いい加減なことを書いたり、聞き間違えたり、理解できてないことを発信することなく、きちんと文章を伝えたいと感じ、難しく考えているところはあります。
それは、誰があなたの言葉に影響されるかということに関わらず、この発信の、可能性というものを考えていて…「私にはわからないこと」を、邪魔しないようにしようと考えています。

内なる声 :そんなふうに考えるのはなぜかな?
あなたの「目的」が何かわからないまま、なぜ可能性を考えるの?

ワタシ :それは、私の考えではないことを発しているためです。
私が発信しているあなたの教えとは、私が理解できたことであるけれど、私からの発信ではなく、自分の考えを超えているものがそこにあるので、考えを広く持つことを必要としているのではないかと、いつも考えます。
いろいろな立場の、さまざまなレベルの考えの中、どう判断されるのかというようなことを、私の現在の心境や理解によって、かたよったものにしないでいられたら、と思います。
それとは別に、自分の目標ってどんなことかなと探しています。
自分はいつも発信(送信者)であり、受信(読者)でもあると考えるため、難しいと考えています。

内なる声 :そう。そういうのって、どうなんだろう。
読んでる人は、どう感じるかな?

ワタシ :うーん…あなたの文を載せている私と、私の個人の考えが別であるという理解を得ていただいてるのかどうかはわからないし、そこまで考えて読んでないかもしれないけど、やはり、それは私だけが抱えていることですよね。
まったく先の見えないこうした会話や、自分の知識を越えているメッセージを毎週更新しているので、やはり通常の作業の中での悩みとは、異なってきますね。

内なる声 :そうだね。だけど、あなたは私が何を言うときにも、あなたの意思に反することを通すべきと思う?

ワタシ :それは内容によりますし、もしもあなたの文を載せるときに抵抗がある部分があれば言うと思いますが、別にないし、あなたの教えはやはりすごくよいものなので、理解していくのが難しいというところ以外には悩みはありません。
ただ、時間が経つにつれ、自分の目標をそこに入れていかないと、進めないと考えています。
あなたの教えは進んでも、私の歩みが進まなければ、読者としての自分がそこにいて実践できていかないと。

内なる声 :何?読者として、あなたがやるの?

ワタシ :え?はい。私も、あなたに教えを受けている者として、がんばって自分がその教えを活かすことを目指しています。

内なる声 :そう。では、あなたが目指しているのは、私が教えていることの実践をしていくことではない?

ワタシ :あ、そうですね。確かにそうです。そうできればいい。
冒頭で、「目指すものを見つけたい」と言いましたが、いま、「目指しています。」と自分で言ってますね。

内なる声 :そういうことがわかったら、「目的」とするのは、あなたの実践を進めるその「気持ち」といえる。
ちゃんと目指すものも、目標もできるのでは?

ワタシ :そうですね。
まだ、少しわからないところはありますが、そんなふうに考えてみたいと思います。

内なる声 :うん。あなたが、どんなふうに考えを変えていくかを、もっと気持ちの変化と共に表していくことで、実践を目にしていく人は、そこから何かを得ていくかもしれない。
そして、あなたがわからないところを聞くことによって、あなたのことを理解する。
つまり、「自分」というものではない。あなたという者への理解。
そういうことを教えていく。

ワタシ :え?最後のところ、何を言われてるのか、わからなかった。
「自分」ではない、私への理解?って何ですか?

内なる声 :人のことを見、何かを思うことと、自分が感じ受けることとは違う。
つまり、あなたが何を得てるかを見ていることは、「自分」への理解にはならない。「自分」が何を理解するかを、わかっておけばいい。
あなたが話していることによって、「自分」という者の理解を得る方法がわかるのであって、その者が「自分」を理解するのではない。
だから、あなたは、「あなたが理解すること」を目指すこと。
読者について理解するのも、読者にとってどうなのかを理解することも、また、あなたの文を読んだからといって、読者が「自分」というものを理解するのも、可能でない。
つまり、あなたがすべきは、いつもあなたの理解を進め、自分らしいところへ行こうとすること。
そういうところを、もっと話していこう。

ワタシ :わかりました。今日は、以上でしょうか?

内なる声 :では。

 
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