秋元ユキです( ̄▽ ̄)ノ
お久しぶりに、「内なる声」との対話の更新です。
ワタシ:先週のメルマガでお知らせしたとおり、これからブログで、「内なる声」にいろいろと聞いていきたいと思うのですが、よろしいでしょうか?
内なる声:うん、あなたは何を聞きたい?
ワタシ:これまで、あまりあなたのことについて、話を聞いていくということをしてないのですよね。それはなぜかというと、あなたの不思議な能力や経験についての話より、「もっと自分のすべきことを考えなさい」というふうに教えられて、進めてきたからです。
そういう質問をしても、「聞いても理解に及ばない」というふうにあなたに言われてましたので、ここにきて、何を聞いたらいいのか正直よくわからないのですが…
こうして進んでいくにつれて、あなたのことをもっと理解できるようになればいいのにな、と思うようになってきています。あなたといろいろ話をしていくことによって、読者の方と共に、楽しくその世界観を味わえないかなと思っているのですが、いかがでしょう?
内なる声:私は、あなたのことを見るのを楽しんでいる。
なぜなら、あなたの考えを変化させることを喜びとし、愛しい「いま」を感じるため。私はとても楽しい。あなたの気持ちはどう?
ワタシ:私の気持ちですか?そうですね…。
うれしいような、楽しいような…でも、何を理解すればいいのかわからないまま進んでいることに、いつもドキドキしているような気がします。
内なる声:あなたのドキドキとは不安の気持ち?
ワタシ:そうですね…私は不安をもっているのを感じます。
あなたの考えは、私の考えをいつも大きく超えているので、まだ先の見えない考えを述べるあなたに、ついていけないと困ると思うからですかね…あなたは、それをどう思われますか?
内なる声:私は、それを幸せに感じない理由を知りたい。なぜあなたがそれを不安とする?何も心配せずとも進んでいくのでは?
ワタシ:「何も心配せずいれば進む」…?私は、そんなふうに考えたことはないですよ。だって、あなたはいつも、まず私に理解を促し、そして私が理解したことを表現させる、という方法をとられるからです。
あなたの考えを対話によって引き出し、あなたを理解しなければ、私の理解を進められないし、他の人にも伝わらないと思っています。このブログも書けませんし…どうやって、そんな気楽に楽しめばよいのでしょう?
内なる声:なんにせよ、私があなたを理解させていくのだから、あなたが不安を感じなくともよいのでは?
ワタシ:たとえば、もしも、あなたが他の「チャネリング」というものと同じように、私の身体を使って勝手に話されるのなら、「心配しなくても進んでいく」と感じるのかもしれません。
だけど、あなたはそんなふうにすることを、いつも望んでいません。まず、私に「どうしたいの?」と聞かれます。
私は、そんなあなたのやり方が好きですし、面白いと思っています。だけどやはり、難しい。その難しさに不安をもっているのを当然として、もう少し楽しんでいくのを薦められているのでしょうか?そういうことを考えるにあたり、わからないことも多いので、もっとあなたのことを理解する必要を感じているのですが…
内なる声:あなたにとって、私のすべては謎である?
ワタシ:そうですね。じつは、そういうことをあんまり考えたことはなかったのですが、たしかにナゾですよね。あなたについての話を、もっとしてみて欲しいです。
内なる声:いいよ。あなたのして欲しい話とは、どんなこと?
ワタシ:えー…そうですね、まず、あなたは、なぜこんなふうにサポートをされているのでしょう?私の元へやってきて、何をしようとされているのでしょう?
内なる声:あなたはそれを、前に聞いたことを覚えてないの?私は、あなたをもっと高いところへ連れて行くのだと話した。その気持ちをもって、多くの同じ考えの者についてもサポートできるというような話をしている。しかし、いま聞いたのは、なぜそれが私という存在にとって重要か、という話?
ワタシ:そうです。なぜ、あなたがそうしたいのか?というお話を聞いてみたいです。
内なる声:あなたこそ、なぜ、そんなサポートをするの?
あなたは、私のことを信じることをしなければ、そんなことを考えなくともよい。なのになぜ、そんなことを考え、他の人へのメッセージを話すの?
ワタシ:私ですか?私は、あなたのメッセージをどうするのかということを、きちんと決めてきたわけではありません。だけど、多くの理由をもって、こういう流れに乗ることを選んだと思います。
私が初めてあなたに出会って話したときには、すでにホームページがあって、そこに私の考えを載せていました。だから、私の興味あることと、あなたの出現が偶然ではないと感じ、そこに何かを求めたため、その流れに乗るという意志をもったのだと思います。
あなたは、なぜ、あなたの教えを伝えようとしているのでしょう?
内なる声:私が何を教え、あなたのことを選んでいるのかと聞きたいの?私において、大切なのは、あなたの表現という、その理解と共に優れた核に尽きる。
ワタシ:核??なんですかソレは…どう考えればよいのでしょう?
内なる声:あなたの、その力とは、あなたに必要のあることの表現を求める力。そういう力に魅かれ、ここにいることの意味を理解する。あなただけ、その表現に力の位置を授ける。私の力とは、あなたのようなその構成の基に成り立つ。なぜなら、私の言葉の真髄を読み取る力をもって、私を生かすものを必要にしている。そういうことをしないなら、私の考えを人に教えるのを困難としているため。私を語るにふさわしい人を求め、その考えを忠実なる心をもって再現する必要をもってここにいる。私は、あなたのその忠実な精神をもって、生きるのをしたい。
ワタシ:つまり、私があなたのことを、「忠実に表現しようとする」ということを好んでいるとおっしゃってるのですか?
内なる声:そう。私という存在について、何も付加せず、忠実なる表現をしようとするあなたをもって、私は生きる。
ワタシ:はー…あなたは、「生きたい」のですか…?
内なる声:うん。なぜ?あなたは、私と共にこうしていることの幸せを感じないの?
ワタシ:え?うーん、わからない…。共にこうしているから幸せ…?
内なる声:では、何をもってあなたが幸せを感じるの?
ワタシ:私は、あなたの言葉を忠実に表現しているのを幸せと感じるのではなく、私の表現をもって、自分の表現したいことを、わかるように発していくのを望んでいて…それをうまくできたときを幸せに感じます。
あなたのことを表現するのは、とても難しいことであり、こういう対話を多く必要にしていますよね。私は、多くの対話を、このように見ていただくことを選んでいます。それは、あなたの言うとおり「忠実に表現しようとする」気持ちをもっているからかもしれない。そうすることを選んだら、この説明のつきにくい状況や、あなたのことをもっとわかるようになってくれるのではないかと考えているからです。
だけど、そうすること自体を幸せとしているのではないと思うのですが…
内なる声:そう。それで、あなたは、この後、何を話そうとしているの?
私はあなたと、もっと楽しい話をしていこうとしている。あなたの聞きたいことを、もっと聞いていい。私を表現するための材料をもっと欲しいのでは?
ワタシ:はい。私は、あなたをもっと違う形にして表現したいと考えているのです。あなたについて、もっと面白い表現の方法を探していて、それができるのを、ずっと楽しみにしています。
内なる声:表現とは、どんな?
ワタシ:えーと、それはまだ、説明できるところに至ってないのですが…
あなたとこうして、いろいろお話していくことで、その表現をしていく方法をもっと考えれると思ってます。
内なる声:いいよ。もっと多くの話をしてみよう。私のことをもっと考えやすいようはからっていく。あなたにそれを教えるのを私の楽しみとして、ここにその不思議な会話の行方を楽しむことを目指す。私と共に、それを楽しめそう?
ワタシ:はい。楽しみたいと思います。
内なる声:それでは、ゆっくり進んでいく。
また、次回。
ワタシ:はい。
というワケで、次回に続きます。(⌒▽⌒)ノ