秋元ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
私はいま、個人サポート『人生を変える対話』をご利用いただく際に、「内なる声」の見解をもっとわかりやすくするため、「いい気分」に関する書籍をつくることやその他いろいろな企画を進めようとしています。
ワタシ :おかげさまで、毎日書籍作業をおこなう習慣がつきました。。。
習慣になってしまうと、どんなに忙しくてもやりますし、「やらないほうが気もち悪い感じ」がするので、不思議だなァと思います。
φ(´・ω・`)
内なる声 :そう。習慣にできたの?
ワタシ :はい。なかなか習慣化できなかったのでどうしようかと思ったのですが、、、
途中であなたに、「早く仕上げれば、終わるのだから、自分の空いている時間をすべて使ってやりなさい。終わらせれば、他のことができる。」と言われてから、なんと毎日コツコツできるようになりました。
これはいったい、どうしたこっちゃ。。。
φ( ̄ω ̄;)
内なる声 :つまりあなたは、習慣化というのを、終わりのない生活の一部分の作業のようにしようとしていたのだろう。
そうすると、コツコツとしたところで、何が待っているのかという疑問が残るのだろう。
それで、終わりを示せばやるんじゃないかなぁと思って。
ワタシ :そ、そうか。
終わりが見えなかったから、できなかった・・・のか・・・?
φ( ̄△ ̄;)
内なる声 :実際に、終わりを目指そうとすれば、できるようになったのだろう?
要するに、習慣にする理由がなかったものが、「終わらせる」という理由ができたんだよ。わかるかな?
なぜそういうことが起こるかというと、つまり、そうすることが合理的と判断できたからである。
つまりあなたは、毎日書籍作業をおこなう習慣を身につけるのが、合理的と判断していなかったのだ。
要するにその習慣を身につけるよりも、身につけない理由のほうが多く見つかる。そういう場合に、習慣は身につかない。
たとえそれが身についたとしたらこういういいことがあるとわかっていたとして、合理的に物事が考えられない限り、その習慣は身につかない。
大切なのは、合理的な理由をつくることである。
ワタシ :合理的な理由・・・
それがあれば、習慣化は簡単にできるということなのでしょうか・・・?
φ( ̄○ ̄;)
内なる声 :そう。例えば、早く起きる習慣をつけたいのであれば、早く起きる合理的な理由がないと、話にならない。
早く起きる理由もないのに、「そのほうがいいから」と考えていても、習慣は身につかない。
だが、犬の散歩のアルバイトがあるとか、早朝の新聞配達をしなければ食べていけないとか、仕事場が変わっていつもより早く出なければ間に合わなくなったとか、「早起きしたら解決する状態」とも言える合理的な理由があれば、それは習慣化できる。
ワタシ :な、なるほど。。。
でも私の場合、「終わらせれば、他のことができる」なんてことは、そんなに合理的な理由には聞こえないような気もしますが、どうしてそれでできるようになったのでしょうか・・・
φ( ̄^ ̄;)
内なる声 :あなたの場合、例えば終わらせたとして、次の書籍を書くとか、他の企画を進めるといった作業を続けようとするために、習慣化しようとしているだろう?
そういう場合には、「終われば、次に進める」つまり、「終わらなければ、進めない」というふうに理解することが、最も合理的なんだよ。
「これを終了すれば、新しい景色が見えてくる」という理由は、人にとって最も合理的なのだ。
だから、それぞれに対する考え方を正しくもつことが大切。
習慣というのは、単に何を目指すかということに対する手段なのだからね。
・・・というワケで・・・
人は、その習慣が身につくまでの間は、
なかなかやる気が出なかったり、時間がないのだと考えていたり、手をつけるのが大変だと思っていたりするものですが、とにかくやり始めなければ楽になることができません。
やり始めたら、もっとやりたいと思う気持ちが生まれ、終わらせるために、毎日やるようになります。
そうなるためには、ちゃんと自分の納得できる「理由」が必要なのですね。
「内なる声」のお話を一冊の本にまとめるのは、とても難しい作業なので、もう少し時間はかかりそうなのですが、今回も良い書籍になりそうです。
この調子でがんばりまーす。
ではまた次回~(⌒▽⌒)ノ