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頭の中を覗いてみよう |
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私たちの「気分」が良いとき、それは私たちが頭の中で「なにもしないでいる」状態です。
(「気分」が良いときの頭の中 参照)
さて、「なにもしないでいる」状態とは、どういう状態でしょうか。
禅の言葉で、『二念を継がない』というものがあります。
これは、「目の前で起こったことを、ありのままに捉える」という意味で、
『一念(最初に湧いてきた思考)』のあとに『二念(自分の主観的な意見や解釈)』をつけない、という内容です。
「なにもしないでいる」状態とは、まさにこの『二念を継がない』状態であると言えます。
最初に湧いてくる「思考」について、私たちはほとんどコントロールできません。
その『一念』がどんなものであれ、『二念』を継ぐかどうかは、私たち自身で選択が可能ですが、私たちは長い間「思考」を流れるままに放っておくわけにはいきません。
『一念』のままでは仕事も勉強もできず、食事さえできずに、飢え死にしてしまいます。
一念 「おなかがすいた」
二念 「なにか食べよう」
三念 「買い物に行こうかな」
なにか行動するとき、私たちは『二念』『三念』『四念』と「頭をつかって」考えています。
この状態を図解してみると、下図のようになるでしょう。
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図のように、私たちは最初に湧いてきた「思考」が流れ去るのをとめて思案することができます。
「思考」は注目することにより、大きくなるという性質をもっています。
ある「思考」に焦点をあてることにより、ますます多くの「思考」が引き寄せられ、せきとめた「思考」はふくらんでいきます。
食欲を満たすことを考えるとき、私たちは
「どこで食料を調達するか」という『過去の記憶』をたよりますし、
おいしい食事を楽しんでいる『未来の想像』をおこなったりもします。
つねに「考えている」ことがあたりまえの私たちにとって、それが『一念』であるか『二念』であるかなどの区別や認識など、普段はほとんどありません。
私たちはこうして「頭をつかって」考え、多くの場合、要件が満たされればその「思考」を捨て去るという選択をおこなっています。
図の場合では、食料を買ってきて、食べているうちに「おなかがすいた」という「思考」は流れ去ってしまうでしょう。
食べていてもなお「おなかがすいた」という「思考」を頭に留めておこうと決意しないかぎり、あなたはその「思考」を「必要ない」とみなし、手放してしまうからです。
「思考」は、あなたがなにもしなければ、勝手に流れて消えてゆきます。
食べていてもなお、「おなかがすいた」という「思考」を頭に留めておこうと決意するなど、たいへんばかばかしい考えだと感じるでしょうが、この決意はじつはダイエット中の頭の中と同じ状態です。
そのような矛盾した「思考」を頭に留めておくことにより、自らストレスを生み出していることは、私たちにとってめずらしいことではないのです。
次項では、「気分」が悪いときの頭の中を覗いてみましょう。

超図解!頭の中を覗いてみよう
「気分」が悪いときの頭の中
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